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蛭子能収のうきうきギャンブラー人生

台湾の人たち

 私は英語も喋れないが外国へ行くとわからないことを外国人に、とにかく聞く。なんとなく単語を並べ、「?」を付けた言い回しで何とかなるものだ。英語を喋れるくせに外国で何も聞かない日本人よりましだなと自分で思っている。

 マンガ家や仲間4人で台湾に旅に行った。最初4人一緒に町を歩いたが、お互い趣味が違うので2人ずつに分かれ散歩することにした。私は比較的ギャンブル好きなFさんと町を歩いた。裏通りを歩いていると地元の人が4人集まって何やらサイコロを振っていた。日本でいうチンチロリンのようなものだ。
 Fさんは素通りしようと言ったが、私は「ちょっと待って、どんな遊びかちょっと見てみよう」と、その4人の側へ行った。Fさんには怖いという発想があるのだろうが、私は面白そうという発想だった。
 遊んでいる人たちの顔を見れば、怖いかそうでないかはなんとなくわかる。
 この人たちは、みな顔見知りで仕事の合間に少し遊んでいるだけさ、の感じを受けた。

 それで私は近づき、その遊び方をじっと見た。Fさんは「行こうよ」と言うが、私は「ちょっと見せてもらおうよ」と言って、その場に留まった。Fさんもちょっと離れた位置で私を見守っている。
 すると、遊んでいる台湾人の一人が「一緒に遊ぶ?」と日本語で私に言った。何と日本語で喋ってきたのだ。戦争の時代、日本が台湾に進駐して日本語を彼らに教えたのだ。
 だから年とった人達はほとんど日本語が喋れるらしい。当時、日本は強制して彼らに日本語を喋らせるようにしたのだろうが、でも台湾を旅して彼らが日本人を嫌っているようには思えなかった。むしろ日本人のことを好きなのではとさえ思える優しさで私たちと接してくれたのだ。ここでサイコロを振って遊んでいる人たちも、優しく私に声を掛けてくれた。
 私はもちろん「OK」と言ってゲームに参加した。サイコロを3ヶ振って、ゾロ目以外の数字で勝負を決める。ゾロ目が出なきゃ出るまで振る。「115」だったら「5」になり、他の人が「1」「2」「3」「4」だったら勝ち。「6」を出した人がいたらその人が勝ち。一回千円くらいの金を出して5人での勝負。Fさんは少し離れた位置から私を見守っていた。

 さて何と私の調子がよく、ポンポンと2回続けて勝った。一回勝てば4千円のプラスになる。見知らぬ外国人と違法な賭けをしているわけだから、私も少しドキドキしてきた。勝っても緊張して顔に笑みが無くなってきた。
 20分くらい遊んで、思い切って切り出した。「私、ちょっと約束がありますので、この辺りで止めたいのですが」と。すると「ああ、いいよ、また遊ぼうよ」と地元のおじさん。
 私は1万6千円くらい勝っていた。Fさんは「よく、あんな所でやれるね」と言っていた。

 日本で私らが遊んでいる所へ外国人がやってきたら、私は「遊ぶ?」と言うつもりだ。

 

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著者略歴

  1. 蛭子能収

    1947年長崎生まれ。漫画家、俳優。看板店、ちりがみ交換、ダスキン配達などの職業を経て33歳で漫画家に。その後TVにも出演。現在「蛭子コレクション」全21冊のうち7冊発売中。ギャンブル(特に競艇)大好き。カレーライス、ラーメンなど大好き。魚介類や納豆は苦手。現在、タレント、俳優、漫画家、エッセイストと多ジャンルで活躍中。

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