悲壮感
僕のギャンブル好きはいつから始まったのだろう。小学生の頃、私の家の前にあった駄菓子屋店によく通っていたものだ。
別に駄菓子を食べたくて通っていたわけではない。駄菓子についているくじを引きたかったのである。
小学3年生の頃から、このくじに夢中になり、駄菓子屋に行ってはくじの付いたお菓子ばかり買うようになっていた。くじを引くことが目的だったのでくじに負けるか勝つかだけが楽しみになって、当たりの景品などには興味がなくなっていった。
18歳になると、一番やってみたかったパチンコに夢中になった。パチンコ店は夜の寂しい街に明かりを灯し何人もの客が店を出入りして、まるで首都のように賑わっていた。店内に入って台の一つ一つを見ては自分がパチンコのプロのように振舞った。
19歳の頃、高校に行っていたが昼は看板屋で働き、夜はパチンコで遊ぶという生活をくり返していた。夏の夜は物干し台(ベランダ)で寝ることも多く、真っ暗い夏の空を見ながら寝ていた。
夏の暗い空を見ながら寝ていると無数の星が見られる。キラキラと輝く星をずっと見てると、時々、星がスーッと流れて消える…なんと流れ星ではないか。
信じられないかもしれないが、ほとんど毎日このベランダで流れ星を見ていた。ちなみに20時ごろに一番多く見たと思う。
この話を若い人に話すと「そんなことあるわけない」と一笑されるが、決してウソではない。実際に毎日のように流れ星を見ていたのだ。
………でも、毎日流れ星を見ていたとしたら星はもう無くなっている計算にもなる。不思議だな-。
今の時代、物干し台から顔を出し隣の家の人と喋るということはほとんどなさそうだが、わたしの子供の頃はよく喋っていた。一時間ぐらいは喋っていたものだ。
でも辛い話もある。正月を目の前にして家に近所の一人暮らしの老人(お名前は忘れてしまった)が「この服を買ってもらえないかね」とやってきたのである。母はどう返事したか? 当時はみんな貧乏で余分な買い物はできないのが普通。
「ごめんなさい、今はそれを買う余裕がないのよ、本当にごめんね」
周りが皆、お金のない頃の話。楽しい家庭もあれば苦しい家庭もある。でもなんとかして困っている人たちを助けてあげようという考えはあった。しかし助けてあげられないことにそれほどの悲壮感があるわけでもない。