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蛭子能収のうきうきギャンブラー人生

『エヴァンゲリオン』を打った

 東京に来たのは私が23才の頃。渋谷の看板店で働いた。そして寮も渋谷にあった。今から45年も前のことである。パチンコに夢中になっていた頃でもある。
 渋谷にも当然パチンコ店があって、よくその店で打っていた。一度、右側下の穴の上に打っている釘が甘いと思い、その穴ばかり狙って玉を打っていたら、案の定よく入りその台を終了させたことがあった。
 そして、そのパチンコ店は今も同じ場所にあって、今はすごいパチンコビルみたいになっていてすごく賑わっている。エスカレーターで2階に上がるとパチンコ台がすごい数あって、お客も多く入っている。

 久しぶりにそのパチンコ店で1000円だけのつもりで打ってみた。昔のパチンコ店は釘が全てだったが、今は釘という感じはしない。全てコンピューター仕掛け。とにかくコンピューターを動かして当てるしかない。(釘師なんて今も存在しているのだろうか?)
 その1000円でなんとコンピューターが動いて当りが来たではないか。「すごいすごい!」と思いつつ、大箱に玉を入れる。ところでマネージャーと待ち合わせをしていたことを思い出した。時計を見ると、もうその時間! 「まずい」と思いつつも、必死で玉を大箱に移した。
 しかし、大当りが一回終わったはずなのに、画面が動き出し、再び大当りになった。『エヴァンゲリオン』という台だ。仕組みを全く理解していなかった。どうなってる? この当り、いつ終わるんだ!? もうこれ以上遅刻はまずい。いや、もうダメだ。帰らなきゃ。

 私は従業員を呼んだ。「どうしても約束があって私はこれで帰らなければなりません」と言うと、女性従業員がこう言った。
 「ああ、そうですか。もったいないですね。この台はまだ出るとおもいますよ。どうしても帰られるなら、他のお客さんにこの台を譲りましょうか?」と。
 これは、従業員らしからぬ考えではないか。店にとってはこの台を途中で止める方が得なのに、せっかく出てるのだから、他の負けてるお客様に差し上げたら?と言うのだ。
 いや、この人は「正しい」と思った。

「ぜひ、そうして下さい。負けてる人に台を譲って下さい」。

 結局、私は大箱2コをいっぱいにして玉を両替することに。あとは誰が打つのか分からないけど、ちゃんと負けてるお客にフィーバーのかかった状態で台を譲ってくれた…多分譲ってくれたと思う。だって従業員は、いつも常連の客が、かなりの金額負けてるのを知っているはずだから情も移るというものだ。

 久しぶりにパチンコで勝った私は急いで待ち合わせの場所に走った。
 場所は渋谷のパルコ。実はここで2016年1月1日から私の絵の展覧が開催されるのだ。これは私の夢でもあった。渋谷パルコで私の絵の展覧会。その打ち合わせだったのだ。みなさん、渋谷へ来たら見に来て下さい。1月18日までやってます!!
http://www.parco-art.com/web/museum/exhibition.php?id=862

 

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著者略歴

  1. 蛭子能収

    1947年長崎生まれ。漫画家、俳優。看板店、ちりがみ交換、ダスキン配達などの職業を経て33歳で漫画家に。その後TVにも出演。現在「蛭子コレクション」全21冊のうち7冊発売中。ギャンブル(特に競艇)大好き。カレーライス、ラーメンなど大好き。魚介類や納豆は苦手。現在、タレント、俳優、漫画家、エッセイストと多ジャンルで活躍中。

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