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蛭子能収のうきうきギャンブラー人生

パチンコは芸術だ!

 最近パチンコのイベントが2回続いた。イベントという仕事になればパチンコもやるが、実はプライベートのパチンコはほとんど行ってない。
 高校を卒業して「やっとパチンコができる」と思った当時の面影はまったくない。あの頃は本当にパチンコが大好きで、自分で行ける範囲のパチンコ店にはすべて行った。
 当時のパチンコ店には必ず女子の従業員がいて彼女らに会えるというだけでもパチンコ店に入る理由になった。パチンコ台の釘に玉が引っかかった場合でも、女子の店員を呼んで取ってもらったものだ。私はそういうシーンで必ずドキドキしたものだが、残念ながら彼女らと何かがあったということは一度もない…。
 パチンコ店に行くということは、私にとってはいくつもの魅力があったが、中でも一番の魅力は、働いてないのに遊びながら持ち金を倍にできる可能性があるということであろう。しかし結果はむなしく持ち金は3分の1に減っていった。

 私が一番パチンコに夢中になったのは18歳の誕生日から20歳の誕生日の日まで。
 少し前に、パチンコ店がカジノ店になるのではとの話を聞いたように思ったが、その動きはストップしたのだろうか。パチンコ店も日本のスロットマシンとして世界中の話題になるのでは?と思ったりしたが……。

 話を最初に戻すが、最近2ヶ所でパチンコのイベントに出演した。京都と大阪のパチンコ店だったと思う。京都の方では私の打った台が良い感じで大勝ち。女性のタレントはほとんど出ずだった。
 次は別の女性タレントと勝負したのだが、私の台はさっぱり出ずに女性タレントが良く出た。二人出演した場合はどっちかが勝ち、どっちかが負けるという風になっているんだろうな。

 そしてパチンコ台の映像の部分や仕掛けの部分はいったいどうなっているんだろう? 本当に複雑になったものだ。映像の中身は日本人が作っているんだろうな。私は昔のようにパチンコ台に釘を打っていたころの台が好きだが、現代のパチンコ台は日本人が作る芸術だと思っている。

 


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著者略歴

  1. 蛭子能収

    1947年長崎生まれ。漫画家、俳優。看板店、ちりがみ交換、ダスキン配達などの職業を経て33歳で漫画家に。その後TVにも出演。現在「蛭子コレクション」全21冊のうち7冊発売中。ギャンブル(特に競艇)大好き。カレーライス、ラーメンなど大好き。魚介類や納豆は苦手。現在、タレント、俳優、漫画家、エッセイストと多ジャンルで活躍中。

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