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蛭子能収のうきうきギャンブラー人生

“いつも”ボートレースに行きたい!!

 最近、自由にボートレース場へ行くことが難しくなっている。家庭のある身ゆえに、やはり家族と過ごすことを第一と考えよ、と嫁に言われているような気がするのだ。
 考えれば私は20才過ぎてからの60才まで約40年間、自由に自分の時間を過ごしてきた。自由に過ごした時間の90パーセントはボートレース場にいたのではないかと思う。
 ボート場へ行き、映画館へも行き、時々麻雀にも狂っていた。

 そんな私は、最近は嫁さんと近所の喫茶店によく行っている。。喫茶店の椅子に座って、アメリカンコーヒーを注文しては、嫁さんの話を「うんうん」と聞いている。

 このコラムのタイトルは何だったのか忘れてしまったが…、「エビスのボート人生」あるいは「エビスさん、今月はいくら負けたの?」「エビス、負けを取り戻しのギャンブル行脚」…。 最近、あまりギャンブル場へ行けてないので「エビス、時々、ボートレース」と変わっているかもしれない。

 競馬、競輪、オート、ボートレースと公営ギャンブルはあるけど、私のマネージャーは競馬派である。少し前に「エビスさん、キタサンブラックが負けて、僕も大負けを喰らいましたよ」と言っていた。
 馬は10頭以上走るので配当も大きい。マネージャーは50万以上の大きな配当を当て、私を悔しがらせたこともある。

 私が20才の時は、学生でなければ20才になったら公営ギャンブルができるというルールがあったので、もう働いていた私はその規則を守り、20才になるまで競艇場へ行くのを我慢していたのである。
 私の住んでいた長崎に競馬はなく、あったのはボートレースか競輪だった。しかし、いつの間にか長崎の競輪場はどこか遠くへ移転してしまい、一番近いのがボートレース場だったのである。そこで20才の誕生日に知り合いを誘って3人で大村ボートレース場へ行った。
 パチンコ店は18才から行っていたものの、いよいよ本物のギャンブルに手を出せる、と大村では大興奮した。しかも、周りを見渡すと海がキラキラする。島も見えて景色の良さにも感動した。

 6人の選手が、それぞれのボートに乗り闘う。最初のスタートがものをいうレースだった。スタートの速い選手が勝つ。スタートして一回目のターンで大体1着と2着が決まる。私はこのスタイルは良いと思った。スタートしてゴールするまで6回ターンをしなければならないが、自分の買っている選手が走っている時、ターンするシーンで毎回ドキドキしていた。それが良かった。

 この日は一レースで一本買い、計12レースやって12000円負けたのだが面白くて、この後も私は一人で日曜ごとに大村ボートレース場に通ったのであった。

 

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著者略歴

  1. 蛭子能収

    1947年長崎生まれ。漫画家、俳優。看板店、ちりがみ交換、ダスキン配達などの職業を経て33歳で漫画家に。その後TVにも出演。現在「蛭子コレクション」全21冊のうち7冊発売中。ギャンブル(特に競艇)大好き。カレーライス、ラーメンなど大好き。魚介類や納豆は苦手。現在、タレント、俳優、漫画家、エッセイストと多ジャンルで活躍中。

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