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蛭子能収のうきうきギャンブラー人生

ヘタウマになった私

 私は子供の頃からクジ引きが好きで駄菓子店に行っても、とにかくクジがついている物しか買わなかった。10円の小遣い銭を母に貰ったら、10円のお菓子を買うのではなく10円のクジを引いた。当てれば50円くらいの物が貰えるからである。10円貰ったら10円の品物でなく20円くらいの品物が欲しいと思っていたのだ。
 ある日、当時のクジは殆どすべてのクジの当たりには目印がついていることに気がついた。それを発見した時、嬉しくてたまらなかった。どこの駄菓子屋へ行ってもクジで当ててばかりだったのだ。10円でクジを引いては50円くらいの商品をゲットしていたのだ。
 しかし店側も対策を練ってきて「エビス君はクジを選んじゃダメ!」といわれるようになってしまった。

 小学校~中学校を卒業。商業高校に入学した。クラブ活動は美術を選んだ。
 美術部は男、女合わせて15人くらいいたかな? ギャンブルが好きだった私は、それ以外に「絵を描く」ことが好きになったのである。きれいな水彩絵の具を使わずとも、白いキャンバスに赤い一本の線を引いても絵として認められるのがよかった。
 
 ある日、全国で愛鳥週間のポスターの募集があり、我が商業高校でも美術部のみんなが一人一枚描くことになった。私も含めて15名くらいいた美術部員が一斉にポスターを書き始めた。
 殆どの人が期日までに描き終わる中、K君という部員だけが「もう描けない」と言って描きかけの絵を捨てようとした。それをみんなで止めて「途中で投げ出すのは止めよう、君が描けないんだったら、俺達全員で完成させてやる!」と途中まで描いていたK君の絵の上からいろいろな絵の具を使ってみんなで完成させた。その絵は途中まで一生懸命に描かれていたが、途中からテキトーに描いたのが一目で分かる出来だった。
 小学生が描いたように見える絵を見て、みんなで「途中で諦めるよりはいいよ」と笑いながら言いあった。
 
 それから1ヶ月ほどが過ぎたある日、全校集会があったグランドに出て校長先生の朝礼での一言が我々美術部員をビックリさせた。
「えー、この度、我が校の美術部で描いた愛鳥週間のポスターが全国で一位となり1年間そのポスターが日本全国で使われることになりました。美術部のみなさん、本当に良いポスターを描いてくれてありがとう」
 何と、ポスター描きを諦めた奴の作品に私たちがテキトーに描き加えて、まるで小学生が描いたように見えるあのポスターが選ばれていた。
 この日から私の考えは変わった。絵なんていうものは見た目が格好良い物が良いわけじゃないんだと。見る人が「これは面白い」と思う物が良い絵なんだと。
 その後、ヘタウマなんてものが流行して、私もそのヘタウマに乗ってここまで来たのはご存知の通り。

 

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著者略歴

  1. 蛭子能収

    1947年長崎生まれ。漫画家、俳優。看板店、ちりがみ交換、ダスキン配達などの職業を経て33歳で漫画家に。その後TVにも出演。現在「蛭子コレクション」全21冊のうち7冊発売中。ギャンブル(特に競艇)大好き。カレーライス、ラーメンなど大好き。魚介類や納豆は苦手。現在、タレント、俳優、漫画家、エッセイストと多ジャンルで活躍中。

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