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蛭子能収のうきうきギャンブラー人生

マカオへ

 この原稿を書いてる3日後、TVの仕事でマカオへ単独で行くことになっている。マカオへ単独で行くことはほとんど考えられず、「香港とマカオへ行くんでしょう?」と尋ねると「いやいやマカオだけです。4日間マカオだけを旅するんですよ」と言う。
 プロデューサーは、もしかするとカジノが好きなのか……4日間ということは3晩カジノを楽しめる。

 一年くらい前、私は女房と二人でマカオへ行ったがカジノは中国人客がほとんどで、カジノ台のほとんどは最低賭け金が高く、なかなか手を出せなかったのを思い出す。そんな中でも中国人の客は大金をポンポン賭ける。中国人って金持ってるんだな~と感じた。
 その時は2晩カジノをして、一日目、あまりの賭け金の高さで嫌になったが、あっさり5万円負け退散。しかし、二日目の夜は女房の指示のもと、5つ程のテーブルですべて勝ち、10万円ほどプラスになった。
 女房がついてきて、なぜ勝ったかというと、バカラ台で私が2、3回やってプラスになると後ろから女房が「ハイ、それで止める」と引き上げるのだ。一つのテーブルに5分以上はいないやり方だった。これですべてのゲームで勝ち、昨日の負けを取り戻し、結果はプラスになった。但し5つのテーブルでかかった時間は30分くらいであった。
 私は、ゆっくりたっぷりやりたいほうなのだが、それでは負けるよってことなのか?

 実は私が海外旅行にはじめて行ったのが、香港マカオだった。私が30代の頃-もう40才に近い頃かな?-出版社の人たちと6名での旅行で、他の人たちが香港だけでいいよ、というのに私はどうしてもマカオでカジノをしてみたいと訴えた。結局、私と編集者の一人二人だけで香港から船でマカオへ行ったのである。港からバスに乗って、その頃は一軒しかなかったカジノ場へと向かった。
 そしていよいよ到着。初めてのカジノに私の胸は高鳴る。編集者が「エビスさん、入口で写真を撮りましょう!」と言う。私はポケットから持ってきたお金すべてを両手に握り(25万円くらい)、カジノ入口で「この資金で勝つぞ!!」。編集者がカシャカシャとシャッターを切った。
 そしてカジノ店内へ。一番わかりやすい「大小」のカジノテーブルへと近づいてポケットからお金を取り出そうとしたら……無い!! さっき「このお金で」とポーズを取った時のお金がすべて私のポケットから消えていた。店内はお客でごった返しており、体と体をくっつけながら前進していた。その間にすべてのお金をスラれてしまったのだ。バスの中で車掌が「カジノの中ではスリに注意してください」と何度も言ってたのを思い出した…。

 初めての海外旅行でのカジノ体験は、初めてのスリに遭ったという悲しい出来事だった。今度のマカオ行きでその分は取り戻したい!!

 


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著者略歴

  1. 蛭子能収

    1947年長崎生まれ。漫画家、俳優。看板店、ちりがみ交換、ダスキン配達などの職業を経て33歳で漫画家に。その後TVにも出演。現在「蛭子コレクション」全21冊のうち7冊発売中。ギャンブル(特に競艇)大好き。カレーライス、ラーメンなど大好き。魚介類や納豆は苦手。現在、タレント、俳優、漫画家、エッセイストと多ジャンルで活躍中。

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