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蛭子能収のうきうきギャンブラー人生

蛭子カップで泣いた

 8月の終わり頃、家族で長崎旅行をした。行った日の夜は女房の長崎の友達と一緒に夕食。夕食は長崎名物のチャンポンである。久しぶりにチャンポンを食べ、いろんな具が入っているのを見て、なんとなく「チャンポン」という名がピッタリだなと思った。私は昔から食べていたが、私だけ他のものを食べるのもどうかと思い、皆と一緒にチャンポンを食べた。久しぶりに食べるチャンポン。おいしいではないか。皆で「おいしい」「おいしい」と言いながら食べた。

 翌日ホテルで目が覚めると雨が降っている。長崎は今日も雨だった、という歌があるが、長崎は本当によく雨が降る。
 女房が「今日はどこへ行く? 本当は競艇に行きたいんでしょう?」と言うので「まあね」と返すと「少しだけならいいよ」と言うではないか。
 ホテルで朝食を食べ、車で大村ボートレース場へ。あいにく大村ボートは開催してなくて、他のレース場の発売をしていた。「それでもいいよ、舟券買おう」と女房達には良い席を取ってもらい、私は若松ボート場の場外販売を買うことにした。私の記憶では若松は私の必勝出目である「1256」と「235」「245」のよく出るところだ。展示航走もスタ展も見ずに、ひたすらこの出目を買い続けた。
 5レース程、当たっても少額の戻りで赤字だったりと、そんな感じの繰り返しで勝ち負けのないトントンくらい。「じゃ、今度で最後にする」と私は女房たちに宣言してしまった。
 その最後のレース。なんと「625」ときて、10万円の配当がついたのである。必勝出目の「1256」と「245」のボックス買いが成功したのだった。配当が10万円、200円ずつ買ったので、このレースの払い戻しが20万円になった。何だかんだと差し引いて約15万円のプラスになった。

 翌日、東京へ戻った私は多摩川ボートレース場で行われていた『多摩川蛭子カップ』と私の名がついた一般レースのゲストとして多摩川ボートレース場にいた。長崎と東京で連日ボートレースに行ったのであった。
 長崎の大村で15万円勝っていた私は、多摩川でも舟券を買い続けていた。が、全く当たっていない。四回ほど、お客さんの前でトークしたが舟券が当たってないので元気も出ない。“これじゃいかん、負けてても顔に出すのは良くないよ”と自分を励ました。
 本日の多摩川、確実に負けるパターンに突入していたのである。こういう日は券を買うべきじゃない。本当に少しの金額で遊べばいいのだ。負け日と決めて、いつもより小さな金額で遊ぶのだ。

 結局、蛭子カップの優勝者は1号艇から逃げた上平真二選手。これも私は外してしまったのだ…。舟券はボロボロ。最後に舞台上で上平選手に賞品を渡したのだが、自分が
情けなくて泣いていた。ああ…舟券で勝つと負けるは大違い。
 勝つ舟券を買いたい……。

 

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著者略歴

  1. 蛭子能収

    1947年長崎生まれ。漫画家、俳優。看板店、ちりがみ交換、ダスキン配達などの職業を経て33歳で漫画家に。その後TVにも出演。現在「蛭子コレクション」全21冊のうち7冊発売中。ギャンブル(特に競艇)大好き。カレーライス、ラーメンなど大好き。魚介類や納豆は苦手。現在、タレント、俳優、漫画家、エッセイストと多ジャンルで活躍中。

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