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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

ノー・モア・反抗期

 中学2年から本格的に始まったウチの息子の反抗期、それが奴が高校1年になった今でも続いている。
 いや、これでもかなり楽になった。中学の時は、オレが親として仕方なく奴を叩くと、後でオレの車の後部のドアのところが必ず凹んでいて、今でもオレの車の後ろはボコボコである。また、奴の部屋のドアや襖も所々ブチ破れており、挙句に中学3年の時には学校に1年間で10日間しか行かなかった。
 それでも何とか高校受験はマシな学校に合格し、今は高校にもきちんと通っているものの、オレの言うことにはやっぱり殆ど耳を貸さない。また、料理が割と好きなオレが何を作っても、それには殆ど箸をつけずに、コンビニ弁当なんかを食っている始末なのである。

 つーか、ホントに勿体無いと思う。何が勿体無いかと言うと、ウチの息子が聞く耳さえ持てば、オレは今まで生きてきた経験を踏まえた上で奴が得をすることだけを次々と教えてやれるのだ。心底ムカムカというか、イライラする。
 オレは、親父のケンちゃんとは社会に出るまで殆ど話さなかった。もちろん無視していたわけではなく、とにかくどういう道に進んだらいいのか、とか、この世の中で何が大事なのか、ってことを何一つ教えてもらえなかった。
 いや、当然ケンちゃんは意地悪で教えてくれなかったのではなく、とにかく会社のソフトボール大会とか、会社の仲間たちとの山登りとかに夢中で、息子にかまけてるヒマなど無かったのだ。ま、その前に途方もないバカだったんだけどね……。
 それに加えてウチのオフクロは、まぁ、こちらの方は凄く立派な人だったんだけど、頭はそんなに良くなかったので、オレをいつも叱っていたのだが、役に立つ具体的なアドバイスは殆どしてもらえなかった。というより多分、するつもりはあったんだろうけど、それをキッチリとした言葉にすることが出来なくて結局は諦めたんだろうな。

 オレは、この世の中、何に対して早くから努力したら、その分、人生の中盤あたりからモノ凄く有意義で楽しい思いをするとか、何に挑戦するべきかとか、何をとことん無視しろ、といったことをアドバイスすることが出来る。また、これだけ毎日のように旨いものを食べたいと考えているので、この日本で焼肉を食べたければアソコ、うどんならコッチで、トンカツならアソコかアソコというように、食べるべき店だって教えることが出来るのだ。が、それを伝えようとしても、「時間無い、無理!」と言われておしまいなのである。
 いや、別にウチの息子をオレのコピーにしようなんてバカなことは考えてないし、もちろんオレが書いた本を読んでもらおうとも思ってない。ただ、最低限でも旨い食べ物屋、そして、女はどう落とせばいいのかとか、そういう男の人生にとって必ず役に立つ情報だけは早いうちに知っといて損はないのに、とにかくオレの言葉すべてに聞く耳を持っていないので何も知らず、例えば、あと5~6年でオレが病気や事故で死んでしまえば、それでジ・エンド。そう、オレの息子は相当な損をするのである。
 仮に、後でオレの本を読んでも、ああ、親父はこんなことを考えていたのか、とか、これに挑戦しようとしてたのか、といったことは何も書いておらず、ただ、ハンパないバカのケンちゃんという父親と、セージという、これまた限りないバカの弟の間で、こんなに恥ずかしい思いをしてたのか……ということを知るだけである。ま、それも1つの教訓にはなるかもしれないけどね……。


 あ~あ、勿体無い。とにかく勿体無い……。とりあえず早く終わりやがれっ、ウチの息子の反抗期!!

 

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著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

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