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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

完全復活! 土佐っ子ラーメン

 キミたちは、このラーメン屋を覚えているだろうか。
 1970~80年代にかけて、板橋区の環状七号線沿いにあった「土佐っ子ラーメン」。当時、環七の板橋付近は、この土佐っ子によって渋滞が出来ていたとも言われていた。元々、「ホープ軒」の難波氏という創始者が始めた、屋台のうちの1つが後の土佐っ子ラーメンの原点になったとかで、とにかくそのラーメンは背脂チャッチャ系のラーメンの元祖とも噂されていたのだ。
  ああ、今、当時を思い出しても有り有りと記憶が蘇ってくる。イスの無い横に長いカウンター。1回に17杯分をまとめて調理して、客には食券の替わりに、先が赤く塗った箸と何の色も塗ってない箸を目印に完全入替え制を導入していた。とにもかくにも、オレはその体に悪そうな味のする豚の背脂が大好きで、出版社の編集部などで夜遅くまで作業をしていると、必ず誰かが「ねぇ、土佐っ子行かない?」という言葉を発し、「おう、今日も行こう、行こう!」と車を出陣させていたのだ。

 ところが、その後に初代店主が借金のために店の経営権を他人に譲渡してしまったとかで、店名を“なすび”に変更。そして、初代の土佐っ子とはかけ離れた味に、お客はどんどん離れ、そのうちオーナーと店員たちとの対立から閉店してしまったのである。
 オレは、それ以後、土佐っ子ラーメンを一杯も食ってない。風の便りでは、その後、店を辞めた店員たちがドコぞで再び店をオープンさせたが、そこも何故か土佐っ子とはかけ離れた味で、すぐに閉店してしまったらしい。

 それから歳月が流れること約25年。ある日、ネット経由で旧友から、あの伝説の土佐っ子ラーメンが都内の大山にオープンした、と聞かされた。で、近い内に食べに行こうと思っていたら、ナント、別の人物からその店は既に閉店していると教えられた。オレは(何だよ、おい……)と溜め息をついた。と同時に、あの土佐っ子の味を見事復活させた人がドコかにいるんじゃないのか?という薄い希望が湧き、ネットに「懐かしの土佐っ子ラーメン」というキーワードを打ち込んだところ、『やっぱラーメンでしょ!』という「ラーメン自由帳 閉店情報編」というところが次のような足跡をあげていたのである。
 「なすび」が閉店した後、その店員たちが新宿歌舞伎町に「元祖環七土佐っ子ラーメン」をオープンさせるも、1年もしないうちに閉店。その後、練馬に場所を移して開店させるも、スグに閉店。
 そして、今度は「元祖環七土佐っ子ラーメン本店」という店名をつけたグループが、2000年に千葉県松戸市にその店をオープンさせるが、またたく間にその店も閉店。
 続いて、「なすび」閉店後に、その跡地にその「なすび」で働いていたという人物が「下頭橋ラーメン」という店をオープン。そして、2007年に同店をときわ台駅と上板橋駅の間に移転させる。
 その後、初代土佐っ子ラーメンの跡地から板橋本町の方へ少し進んだ場所に、初代店長と関わりがあった人物が土佐っ子ラーメン関係者と「平太周」という、3人の頭文字を取って命名した店をオープン。そして、それから少ししてからノレン分け店「平太周 味庵」が出来るも、何故か本店の「平太周」は閉店。
 2008年、前出の初代土佐っ子ラーメン店長と関わりがあった人物が豊島区池袋に「韃靼(だったん)ラーメン 一秀」をオープン。この店は現在でも、マニアの間では黄金期の土佐っ子ラーメンの味に最も近いと噂されているらしい。

 とまぁ、こんな情報を得てから数日後、テレビのCS放送で土佐っ子ラーメンとソックリな味という触れ込みで、レポーター3名が板橋区常盤台にある「下頭橋ラーメン」を訪れていた。で、ラーメンが作られていく様を見ているうちに、アッという間に昔の土佐っ子ラーメンを月に2~3度は食っていた頃の記憶が蘇り、いても立ってもいられなくなったオレは翌日に友だちのハッチャキを誘い、その下頭橋ラーメンに突撃した。
 が、スープ、麺、チャーシューと確かに似ているような気もしたが、正直言ってオレが食べていた土佐っ子ラーメンの味とは明らかに違っていた。そして、ガッカリした気分で店を出た後、ハッチャキに次のような質問をしていた。
「土佐っ子ラーメンの味には全然似てねえよなぁ~?」
「えっ………土佐っ子ラーメンって何?」
 うああっ、何やってんだよっ、オレはあああ!! ハッチャキは、その頃は九州の博多に住んでたんだから、土佐っ子ラーメンなんか食ってねえじゃねえかよっ!!

 家に帰ったオレは、本日の失敗ラーメンのことをツイッターに書き、今後、自分1人で訪れる店を五反田の「平太周 味庵」と池袋の「韃靼ラーメン 一秀」に絞った。そして、パソコンを閉じようとした時、1本のツイートがオレ宛に届いた。そのツイートの主は、数年前まで都内のクラブで働いてた女性で、こんな事が書かれていた。
『ゲッツさんが探している土佐っ子ラーメンそのものの味、それは蔵前にある「元楽ラーメン総本店」の特製元ラーメンを注文すれば出会えますよ~』
 2日後。オレは蔵前にあるその元楽ラーメン総本店に来ていた。が、正直そんなに期待はしてなかった。なぜなら土佐っ子ファンの奴らの間では、この「元楽総本店」の名は今まで聞いたこともなかったし、店内を見渡しても“土佐っ子”という文字は1文字も無かったからだ。で、特製元ラーメンを待つこと10分。テーブルの前に出された背脂がタップリ浮いたラーメンのスープ、それを軽くかき混ぜて一口飲んだところ、

  バァンンンンン~~~~~!!

 自分でも驚いた。そのスープの味が、あまりにも自分の記憶の中にあった土佐っ子スープの味とソックリで、あろうことか、オレはもの凄い勢いで立ち上がっていたのである……。
「えっ……ど、どうしました?」
 いきなり立ち上がったオレを見て、おっかなビックリ声を掛けてくる店のオヤジさん。
「いっ……いや、なっ……何でもありません」
 その後、オレは麺やチャーシューも食べたが、うん、そのどれもがあの頃の土佐っ子の味だったのである。
 つーことで、情報をツイートしてくれたアミちゃん、こんなに簡単に“土佐っ子ラーメン”の味を見つけてくれて、どうもありがとう。オレ、これからは年に4~5回は通いますね♥

土佐っ子ラーメンの味にソックリな
「元楽総本店」の特製ラーメン。
土佐っ子ファンはマジで驚くよ。

 

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著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

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