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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

気絶するほど難しい奴(後編)

 

 いきなりオレへの手紙が始まって何だと思っただろうが、これは2013年、つまり息子が中学1年の時にオレに書いた手紙である。そう、その頃までは息子はまともと言うか、ちゃんとした人生を育っていたのだ。 
 ところが、翌年の2014年。オレの親父のケンちゃんが他界したあたりから、息子の態度が少しオカしくなる。そして、最初は月に2~3日だった学校を休む日が、11月を過ぎた頃には学校には月の半分も行かなくなっていた。そして、翌2015年の中学3年を迎えた時には年にたったの10日間しか学校に行かなくなってしまったのだ。 
 この時の息子の態度は正に最悪で、家族とも殆ど喋らず、中学に行けと言っても布団から出てこず、何度か殴ってしまったが、その度に泣きつつも、まるでオレを祈り殺すような眼で睨んでくるのだ。にも関わらず、この中学の最後の1年も塾にだけは通っていたのである。そう、息子は息子で、すべてを放棄することだけは避け、とりあえず塾にだけは行っているということで、何とか世間との繋がりを保とうとしていたんだと思う。
 で、以前も書いたので詳しくは書かんが、2016年の4月、息子は中学の時の出席率を大目に見てくれる高校に何とか合格。すると息子は今度は学校に行く気は出てきたのだが、出発前の準備にいつも時間がかかり、そのままだと遅刻してしまうので、結局オレは3年間も朝になると車で息子のことを約1時間もかかる高校まで送ることになった。息子が甘ったれてるのは重々承知だったが、今、その時のことを思い出してみると、オレはあれだけ中学に行かなかった息子が高校には通う気でいたことが単純に嬉しかったんだと思う。が、その通学時に息子は2回だけ、高校に向かっている途中で「やっぱり今日は学校に行きたくないから引き返してくれ」と言ったことがある。勿論オレは「なに寝惚けたことコイてんだ!!」と怒鳴ったが、息子は延々と「今日は行かない。とにかく行かない」と繰り返した。結局、その2度とも途中で家に戻ったのだが、1回はあまりにも頭にきて、そのまま運転している車で福生市の横田米軍基地のゲートに突っ込むところだった。 

 で、ここから先も以前書いたことがあるので詳しくは紹介しないが、結局ウチの息子は高校2年の夏からオレの読者だった上野くんという塾の個人教授に頼み、大学受験の勉強をさせた。その結果、息子は最後の2ヵ月はモロにさぼったが、何とか現役で2019年に四年制の大学に合格。  
 ところが、大学の1~2年の頃は、殆ど学校に行かなかった。それと同時にオレと嫁の仲も決定的に悪くなった。そして、2021年の11月にオレは息子を連れて東京の立川市から埼玉県富士市に引っ越し、翌22年の2月に正式に離婚が成立。オレはホッとする暇も無く、再び息子を大学に合格させてくれた上野くんに息子がちゃんと就職するまで見守って欲しいという、今考えるとまったく都合の良いお願いをしたのだ。 
 いや、今考えるとこの頃のオレはハンパなく弱ってた。長年書き続けている小説も私生活のバタバタで全く進んでおらず、自分の息子は一体あと何年で大学を卒業出来るかも見当もつかず、相談する両親もとっくの昔にいなくなっていた。その上、息子の反抗期は更に酷くなっており、殆どの時間を自宅でネットを使った友達との会話やゲームに費やしており、夜中にうるさい時があって注意すると「あんただってTVを観てうるさい時があるんだから、いちいち文句を言われる筋合いはねえ!」なんて言葉が返ってくる。で、もうこりゃガマンが出来んということで息子に躍りかかるが、いざ、押さえつけて殴ろうとすると、いや、やっぱり親子なので、これが殴れないのである。そう、1発殴ったら、もうパンチが止まらなくなり、下手をすれば息子の顔面の骨とかを折ってしまうまで続いてしまうはずだ。オレにはそれが出来ない。平和な家庭を奴の前から吹き飛ばしてしまったオレには出来なかった。 

 また、ちょうどこの頃、ある物を借りようと息子が不在の時に奴の部屋に入ったら、ベッドの脇にウーマナイザー(性具)を発見。これにより息子は童貞を失ったと判断出来、まぁ、それは良かったとは思うが、本来なら大学の卒業は翌年の2023年3月の予定で、もちろん就職の方も既に10月になるというのに決まっていないことから、(ああ、やっぱりウチの息子は留年しちまったんだ……)ということがわかった。 
 そして、その2023年の3月。息子から「半年間だけ留年したから、大学の授業料をあと50万円払って欲しい」という申し出があり、さらにそれから3ヵ月後、車の免許を取りたいから20万円を出してくれという申し出が。ま、大学の授業料と車の免許代は最初から出してやるつもりだったが、その際に「お前、車の免許は合宿で取った方がいいからな」と伝えると、「いや、免許はもうどこで取るか決めてるから、お金だけ出してくれればいい」との答え。一瞬イラッときたが、それでも合宿免許は全部で30万円以上かかるのに、それより大分安く済むと言うので、オレはそのお金も払ってやった。 
 ところが、車の免許は仮免の試験を何度も落ちたとかで途中から全然進んでおらず、おまけに今年の8月には就職先が決まっていなければいけないのに、息子からはそういう報告も一切なかったので、オレは思い切って上野くんのところに電話を入れた。すると彼からは「息子さんは今年の9月には大学を卒業出来るし、就職も先日、一社が最後の面接まで行ったみたいなんですけど、それに落ちちゃったらしくて。でも、大丈夫ですよ。もう少しで決まりますから」という答えが返ってきて、少しだけ心が軽くなった。 
 そして、8月もあと何日かで終わりといったある日。息子の部屋から大歓声が上がり、慌てて奴の部屋を覗いてみると「就職決まったよ! よぉ~し、ようやく決まったあああ!!」という歓喜の声が。その後、息子の話では“お客様企業の事業パートナーとして、売上拡大とコスト最適化を総合的かつグローバルに支援するアウトソーシングサービスを提供する会社”とのことだったが、もちろんオレには息子がどんな会社に勤めることになったのかは1ミリもわかってなかった。

 さて、でも、とにかく就職は決まった。で、オレはあと1つ残っている課題について、その解決方法を息子に提案してみた。 
「お前、今年の6月から通ってた車の教習所って、早い話が免許を試験場で1発で取ったり、もしくは元々免許を取ったんだけど、その後、全然走ってないペーパードライバーなんかを教習する所なんだべ。で、そんなとこに通ったはいいが、教習所内での試験に何度も落ちちゃって、にっちもさっちもいかなくなってんだろ?」 
「………うん」 
「じゃあ、その教習所は辞めて、別の教習所に行って合宿で免許取れ。2週間ぐらいで取れるからよ、な?」 
「………わかったよ」 
 つーことで、その後、息子はオレが更に渡した35万円を持って群馬県前橋市の運転免許教習所の合宿に参加し、予定通り2週間後には運転免許を取得。つーか、最初からそうしとけっつーの!! しかも、車の免許は取ったら取ったで、最初のうちはオレが助手席に乗ってサポートしてやらねばならないのだが、これが自分が運転するより5倍ぐらい疲れるのだ。しかも、オレが少しナビをするのが遅れるとスグに怒り出し、踏切のある道で一時停止しなかったので注意すると「しー!!」という言葉を吐いて、それを無視。 
 また、暖かい季節になると家の中をスッ裸で歩き回り、その上、チンコがオレよりデカいので余計イライラするのだ。てか、ウチの息子は他人には一見礼儀正しい態度を取るものの、オレにはすべての甘えをぶつけてくるのである。で、とにかく今年の2024年の4月からは社会人として働き始めているが、いつ出勤時間になっても自分の部屋が出てこず、「どうしたんだよ?」と声を掛けたら「……もう会社行きたくない」と言い出さないか、オレは未だに毎日ドキドキしている状態なのである。 


 いや、ウチの息子を無理矢理に数学の方程式にして、それを頭のいい東大や京大生に解かせても、絶対に正解は出せないと思う。そのくらい難しい奴です……。 

 

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著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

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