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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

ガラスのヘラクレス

 いや。オレは自分を買い被っていた。 
 
 今から5年前。その日、まだ東京都下の立川にあったオレの家で、その年も40名以上が参加する年末の忘年会が開催されることになり、そのメインイベントで腕相撲大会をやることになっていた。が、そんなことをやらなくても、ぶっちぎりで優勝する奴は決まっていた。東映でプロデューサーをやっているスガヤさん。身長も180センチ以上ある彼は北海道函館市の高校3年間はラガーマンだったため、筋トレを毎日黙々とやり、その後、推薦で入った中央大学での4年間も筋トレまみれの生活を送っていたのだ。よって、今でも腕の太さが女性のウエストぐらいあり、オレの親父のケンちゃんがスガヤさんに腕相撲の勝負を挑んだことがあるが、スガヤさんは右手の人差し指と中指2本だけで楽勝でケンちゃんを破ってしまった。そう、その強さは圧倒的だったのだ。 
 ところが、その忘年会の2日前にスガヤさんがインフルエンザにかかってしまったのである。これでその年の腕相撲大会は誰が優勝するのか、皆目見当がつかなくなった。 
 1番の優勝候補は八王子の元ヤン、シンヤくん。続いては、ウチのガキの大学受験、そして、就職まで面倒を見てくれた上野くんも頭がイイのは勿論のこと、ボディビルのジムにも通っていて、上半身がパンパンで優勝候補の1人だった。
 が、優勝候補は、もう1人いた。それがオレである。何を隠そう、オレもその頃は週に何回かは地元のジムに通っていた。で、筋肉ムキムキとまではいかないまでも、時々コーチとしてオレのトレーニングを見てくるスガヤさんにも「いや、板谷さん。50歳台でソコまで重いウェイトを上げられる人なんて、なかなかいませんよ」と言われていたのだ。 

 で、その忘年会の朝、オレは1人で計12名が参加する腕相撲のトーナメント表を作り、シンヤくん、上野くん、オレの3人を1~2回戦ではなるべく当たらないような配置にした。ちなみに、その1回戦の第1試合は、オレと埼玉県富士見市で串カツ屋を経営している塚ポンの試合にした。そう、最初の相手は軽く勝てるであろう、この塚ポンでいいやと思ったのだ。 
 ところが、オレは負けてしまった。しかも、接戦で負けたのではなく、僅か2秒ほどで負けてしまったのだ…。
 これは後に、この腕相撲大会を近くで見ていた友達から聞いたのだが、塚ポンとの腕相撲でオレが負けた瞬間、オレの弟のセージの嫁のミカが「そりゃ、お兄ちゃんは負けるわよ。だって、日ごろから持っている1番重い物ってシャーペンだよ、シャーペン」と言って笑ってたらしい。バカ野郎、こちとらジムで重いバーベルとかダンベルを……じゃあ、何で負けたんだよ………。
 結局、この腕相撲大会で決勝まで進んだのは塚ポンとシンヤくんで、結果は楽勝でシンヤくんの勝ち。そう、あながちミカの言ったことは間違っておらず、オレや上野くんみたいに筋肉をつけるためにジムに通ってトレーニングしてる奴に比べて、例えば塚ポンは毎日のように串カツを揚げるための油をなみなみと湛えた大鍋を何回と持ち上げているため、それ自体が1日に何時間もトレーニングしていることになっているのだ。また、シンヤくんに限っては、アマチュア無線の高さ30メートルぐらいの鉄塔に修理や取り付けのために、これまた毎日のようによじ登っているため、その鉄塔から自分の体が離れないように絶えず気にかけていなければならず、早い話が腕1本で自分の体重を支えているような体勢を長時間取り続けているのである。そんな奴らに週に何回か、しかも、1時間ばかりのトレーニングをしているオレが勝てるわけがなかったのだ。 
 この腕相撲大会以後、本人は気づいてないとは思うが、塚ポンのオレを見る目が変わった。昔のケンカばかりをしていた男に対する畏怖の念はきれいサッパリ消え、結局ゲッツも年齢には勝てない初老の男なんだという想いが、奴の目の奥に渦巻くようになったのだ。 

 更に、オレにとって屈辱的なことは続く。その忘年会から2年後、オレは離婚を機に立川の家を売り払い、塚ポンの串カツ屋がある埼玉県富士見市のマンションに息子と移り住んだ。そして、新しく仕事机を買うために、立川市にある大手外国家具屋「IKEYA」を訪れた。そして、そこで買った組み立て式の仕事机を車に積み込んで家に帰った。で、早速その机を組み立てようとしたのだが、そのネジが全然入っていかないのだ。 
(おい、不良品だろ、この机!!)
 最初はそう思った。が、オレは再びネジをネジ込もうとしても6割ぐらいでピタッと止まってしまうその光景を目の当たりにして、まだ自分の串カツ屋を開けるには間がある塚ポンに電話して、そのネジを見てもらうことにした。すると計20本ぐらいあるネジ、塚ポンはそれを普通に力を入れてネジ穴に完全にネジ込んだ後、そろそろ仕込みをしないといけないからと言って、そそくさと串カツ屋へと向かった。 
 オレは暫くの間、呆気に取られたままだった。オレが買った机、それを組み立てるためのネジは普通の男なら大した苦労もせずに組み立てられるように出来ていたのだ。が、オレにはその力も無く、まるでダメな嫁さんのように自分の机をネジで組み立てていく塚ポンを眺めていたのである。 
(お前、マジでヤバいぞ……)
 そんな声が自分の後頭部から迫り上がってきた。 

 更に先日、息子と口論になり、その際にオレより30キロも体重の少ない息子に簡単に床に倒されてしまったのだ。 
 その昔、オレの親父のケンちゃんは、自分が糖尿病になっているにもかかわらず割といいガタイをしていたので、自分のことを「糖尿ヘラクレス」と呼んでいた。一方、今のオレは体つきだけは力がありそうに見えるものの、組み立て式の家具のネジもネジ込めない、30キロも自分より体重のない息子にも簡単に倒されてしまう、正に「ガラスのヘラクレス」じゃねえかよ……。 
 つーことで現在、ボキはマンションの近くにあるジムで、今まで殆ど鍛えていなかった体の裏側、つまり、腕の後ろ側や背中の筋肉を中心に鍛えていて、もう少ししたら今度は体の表側や手首の筋肉なんかもガンガン鍛えていこうと思っとります。 


      必ず返上します、ガラスのヘラクレスという名前を! 

 

 

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著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

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