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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

脳卒中コンビ誕生!

 さて、ボキは今回からココでエッセイを書いてくゲッツ板谷なんだけど、以前オレも当ページ担当のH嬢も脳卒中、つまり、脳の血管を切っている。

 ちなみに、ボキが患った脳出血は6人に1人が死に、去年H嬢が患ったくも膜下出血においては3人に1人が死んでしまうという病気なのだ。

 オレは今から6年前、目を覚ましてから1時間後に小説を書いていたら、5~6時間も寝たというのにスグに眠くなり、おかしいなぁ……と思いながら再びベッドに入って目を覚ましたらナント、今度は約2カ月も経っていたのだ。つまり、その小説を書いている時点でオレの血管は切れ、その日のうちに救急車で病院に運ばれて手術をしたが約2カ月もの間、記憶と意識を失ったままだったのだ。

 しかも、その手術後に糖尿の気が元々あったボキは細菌が脳髄(患部)のところで繁殖する髄膜炎にもなってしまい、早い話が結構ヤバかったのである。病院の先生からウチの家族が真っ先に告げられたのは、次の言葉だった。

「コーイチさん(オレ)は命は助かりましたが、残念ですが文筆業という今の仕事を続けるのは難しいと思います……」

 つまりウチの家族は"コーイチくんは命が助かっただけでも儲けものだよ"と言われたのである。今もオレの手元にあるが、記憶や意識を失っていた時に、そんなオレの顔を写した写真が何枚かある。

 今見てもギョっとする。そう、人間の顔じゃないのだ。目、鼻、口の位置がバラバラなのである。

 要するに、人間の脳というのは様々な作業をしているが、顔のパーツをバランス良く並べるのも仕事の1つで、ソレが壊れていたボキの顔は昔、ビートたけしが交通事故に会った時のようなメチャメチャな顔になっていたのだ。

 ま、そんな期間もあったが、とにかくオレは入院した2ヵ月後に突然意識を取り戻した。で、オレは翌日には病院から自宅に帰ろうと思ったのだが、とんでもない話だった。オレは、まだ1人では全く真っすぐに歩けず、しかも、頭のリハビリの授業で日本にある知っている県名を紙に全部書いてください、と言われ、バカにすんなと思いながらも書いたら、あろうことか秋田県と山形県しか書けなかったのだ。そう、体も頭の中も自分じゃ平気なつもりだったが、それが全然そうじゃなかったのである。

 が、意識を取り戻してから1カ月後にボキは退院。そして、さらに1カ月経つと『パチンコ必勝ガイド』という隔週誌の女編集者サトー嬢がやってきて、早く原稿を書いてくれという。で、それに戸惑う暇もなく、さらにその時にはオレが書いた自伝的小説が東映から映画化されることになっていて、東映の若いS君というプロデューサーにその撮影現場に何度も車で連れていかれたりしたのである。

 そうオレはまだ何の自信もないのに、気がついたら再び原稿とかを書いていて、まぁ、今考えても病気の前のボキの仕事能力が100とすると、退院してから半年後ぐらいはまだ50ぐらいまでしか戻っておらず、周りの人や読者たちにも随分迷惑をかけたと思う。

 が、本当に苦しかったのはソコからだった……。いや、月単位で考えると毎月着実に能力は上がっているのだが、退院後半年を過ぎてからはその回復力が呆れるほど少しずつで、とにかく何年経ってもモノや人の名前をブリブリ忘れちゃってて(ま、年齢からくるのも多少はあるけどね)、オレが文章を書いててゾーンに入った時に必ずかかるターボに全く入らないのだ。

 そう、ターボに入ると時間が経過するのを全く感じないほど原稿に集中し、面白いアイディアや表現が次々と浮かんできて、また、それが絶妙に組み合わさったりして、非常にリズムと勢いのある文章が書けるのである。が、モノや人の名前がなかなか頭の中に浮かんでこないと、ターボをかけようにも陸上のグランドの至るところから石がポコポコ出ていて、ソレにつまずき続けてるうちに結局は全くターボがかからずに、で、毎回のように盛り上がりもリズムも全くない駄文が出来上がってしまうのである。

 そういう"悔しい"状態が2年以上続いた。加えて、その頃にはオレはタバコは完全に止めていたので、病院から処方される高血圧の降圧剤も飲まないでいいだろうと勝手に自分で判断していて、また、そんな時に寝不足で車を走らせてたら思いっきり居眠り運転をしてしまい、気付いた時には車は道路脇の壁にモロにクラッシュ。で、車は廃車状態になったのにもかかわらずオレは何のケガもなく、が、病院に運ばれて血圧を計られたら、そこで初めて血圧の上が220もあることがわかったのである……。

 で、それからのオレは、とにかく再び降圧剤を飲み始めたり、ダイエットをしたりして血圧を130まで下げ、その時点で体の爽快感をかなり感じるようになり、さらに今年の初めに何回か香川県にさぬきうどんを食いに行き、そこで地元のボキの読者たちと知り合ってゲラゲラ笑っているうちに、ある大きな変化が表れたのである。

 モノ忘れが大分良くなったのに加えて、それまではある事を書きたいと思ったらソレに向かって一直線にしか文章が書けなかったが、ファンの期待や応援のお陰からか、一直線に書いてる途中でも、左から回り込むように書いてみたり、またある時は結論を下から上に向かって突き破るように書いてみたり出来るようになったのだ。で、考えてみれば、まさにこれこそがボキが脳出血を患う前に執筆してたノリで、ここにきてようやく90%ぐらいは復帰できたかな、という感じである。

 いや、しかし、脳卒中っていうのはホントに大変な病気で、ある方から聞いた話では新聞社とかに勤めてる記者とかも、多大なストレスや喫煙が原因で脳卒中になる人が結構いるらしいけど、その後、職場に復帰してきても結局は仕事にならずに退社していく人が殆どだという。

 で、話を最初に戻すと、そういう中でボキと当ページ担当のH嬢は復帰をしてるわけで、まぁ、オレたちはたまたま血管が切れた場所が良かったのかもしれないが、この出版界における脳卒中者同士のコンビというのは、実はかなり珍しいケースらしいんですわ。

 ま、そういうわけで今回は長くなっちゃったけど、次回からオレたちの力を思い知るがいい。あうあう~。

 

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