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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

岡製麺所の静かな逆襲

 うどんが大好きになって早15年。 
 オレの中では、今の生活に切り離せなくなった店が2軒ある。1つは、東京都八王子市にある武蔵野うどん『ふたばや』。もう1軒は、香川県綾川町にある讃岐うどん『岡製麺所』。 
 いや、とにかくこの2軒のうどんがしみじみ旨いのだ。そして、オレが友達や知り合いをこの2軒に連れてくと、ほぼ100%に近い確率で彼らもハマってしまうのである。 

 もう何度か書いたことがあるが、それらのエピソードの中でも1番オレの印象に残っている話があるので、もう1度だけ紹介させてくれ。東映で映画のプロデューサーをやっている菅谷さん。オレは、今から7年前にウチに打ち合わせに来た彼と一緒に昼飯を食べるために、八王子の「ふたばや」に連れていった。が、当初、菅谷さんは「え~~~っ、うどんですかぁ? いや、俺はうどんは大して好きじゃないんスけど」と軽い拒絶反応を見せていた。それでも半ば強引に同店に連れていったが、頼んだ肉入りタヌキうどんを一口、ニロと食べても菅谷さんは相変わらず冴えない表情をしていた。ま、それも無理からぬことだと思った。大手映画会社のプロデューサーともなれば、美味しいモノだって相当食べているはず。それを東京の片田舎の八王子でうどんを食わしたって、その旨さに感動する確率は低いだろうと改めて思った。そして、菅谷さんはそれ以後、黙って肉入りタヌキうどんを食べ、オレが何度か「う、旨くなかったですか?」と尋ねても何も答えなかった。 

 まずいと思ったオレは、その晩、今度は高田馬場にある『成蔵』(現在は阿佐ヶ谷に移転)というトンカツ屋に菅谷さんを連れて行った。そう、その店のトンカツで昼間の汚名をそそごうと思ったのだ。そして、お店を出た直後、「どうでした、この店のトンカツは?」と訊いたところ、菅谷さんがしばし間を置いてから次のような答えを返してきたのである。 
「……いや、板谷さん。確かに今食ったトンカツは、俺が今まで食ってきたトンカツの中でも1番旨かったとは思いますが………」 
「思いますが……?」 
「いや、昼間食べた、あの八王子のうどんがあまりにも旨過ぎて、未だにその衝撃が俺を包んでて、すいません……トンカツの旨さはイマイチわかりませんでした」 
 そう、菅谷さんは「ふたばや」の肉入りタヌキうどんの三口目から、突然その旨さの衝撃に襲われ始め、以後、そのあまりのショックに同うどんのことについては黙ってしまったと言うのだ。いや、そんな答えが思いもかけず跳ね返ってきて、今度はオレの方がビックリしたよ。 
 ちなみに、現在オレは「ふたばや」と同系の武蔵野うどんを出す店が最も多い埼玉県に住んでいて、もちろんその武蔵野うどんを出す店を片っ端から回っていた。ところが、やはり「ふたばや」のように太さが不揃いの麺は勿論のこと、あの豚肉の脂と、揚げ玉の油と、ゴマの油が甘辛い汁に溶け込んで、とんでもない化学変化を起こしたうどんの旨さ、それに迫る店は未だに見つかっていない。 

 さて、もう1軒の香川県「岡製麺所」。この店の肉うどんが、また旨い!! 
 が、そう言えるまでに、オレは10年間もかかってしまったのである。つーのも、10年前から年に何回か、香川県に讃岐うどんの食いまくりの旅に出るようになった当初、オレは美味しい讃岐うどん屋を案内してくれるという香川が地元だというツイッターのフォロワーの人との待ち合わせ場所に、この製麺所を指定されたのだ。で、その人はこの店の常連かと思いきや、当人もココに来たのは初めてということで、何だか分からないまま、とにかく岡製麺所のうどんを食べたのである。そのうどんの最初の印象は(ああ、確かに旨いなぁ…)という単純なもの。  
 もっとも、オレは讃岐うどんにハマった当初は、うどんなのに何故かスパゲッティのカルボラーナの味がするという“釡バターうどん”というメニューが大好きで、岡製麺所でも毎回その釡バターうどんを頼んでいたのだ。で、そのうち岡製麺所の店主の長女、岡宏美ちゃんという次期店長とも仲良くなり、香川に行く度に一緒にカラオケに行ったり、また、ある時は他の香川で友達になった者たちと一緒に愛媛の道後温泉にも行ったりした。  
 宏美ちゃんは、年齢こそオレより1回り以上下で、しかも、結婚していて、2人の娘さんもいる。だから、ある面は非常に気が利く若いお母さんなのだが、もう一方では若い頃に大型バイクの免許を取って乗り回してたり、車も片手運転でガンガン走り回るという、まるで男のようなところもあるのだ。その上、ただのイイ人かと思っていると、どうやらちゃんとした人の好き嫌いがあり、まぁ、滅多なことではソレを表には出さないが、とにかくこうと決めたら笑いながらガンガンその道を進むという女性なのである。 
 で、オレは香川に行く度に宏美ちゃんと仲よくなり、そのうち友達たちも岡製麺所に連れて行くようになると、その殆どの友達たちも宏美ちゃんのことが1~2回会っただけで好きになった。そして、ある日、岡製麺所で食事を済ませて店から出ようとした時、後ろから宏美ちゃんに呼び止められ、小声で次のようなことを言われた。 
「あの、ゲッツさん。ウチの母親が今度伝えてくれって言うとったんですが、ウチの1番のお勧めは“肉うどん”なんですよ。だから、次に来た時は是非……」
 そんなこと言われ、反射的にカウンターの中にいる宏美ちゃんのお母さんの方に目をやると、お母さんもコッチを見ており、次の瞬間、照れたように頭を下げ合うオレたち。そして、次に岡製麺所を訪れた時にその肉うどんを食べてみると、ああ、何で今までコレを頼まなかったんだ!とぢたんだを踏みそうになるぐらい旨かったのである。 
 が、そうとは言え、そこは讃岐うどんの本場、香川県である。旨いうどん屋は他にも何軒もあり、正直に言うと釜バターうどんばかり頼んでいた時は、あくまでもオレ個人の判断だが岡製麺所は全体の20位ぐらいで、肉うどんを頼むようになって、初めて10位に入ってくるという感じだった。なのに香川に行ったら、何を差し置いても必ず岡製麺所に行くというのは、その味がどうのこうのと言うより、人間的に大好きな宏美ちゃんの顔を見てホッとしたいと言うのが1番の理由だった。 
 そして、それから更に何年かが経つうちに、オレは相変わらず何人もの友達や知り合いを岡製麺所に連れていった。すると大抵の連中が、やっぱり1回会っただけで宏美ちゃんのことが大好きになり、しかも、他の香川のうどん屋と比べても明らかに岡製麺所が1番旨いと言うのだ。オレは嬉しそうに頷きながらも、心の中では<旨いけど、1番じゃないよ>という言葉を吐いていた。 

 で、忘れもしない、今から6年前に香川に滞在している時に高知県へと足を伸ばし、その中心地にある「英屋」という、これまた相当旨い郷土料理を出す居酒屋の店主が次のようなことを言ってきたのだ。 
「ゲッツさん。岡製麺所のうどんってヤバくないですか?」 
 ちなみに、オレはその2~3年前からツイッターがきっかけで繋がった、その宮本という名の店主の高知の店「英屋」にも香川に行く度に必ず1回は寄るようになった。そして、その宮本店主に隣の香川県にはビックリするほど旨い讃岐うどんの店が沢山あり、高知に住んでてそれらを食べないのはバカだとまで言ったら、宮本店主は頻繁に英屋で働いてる1人娘を連れて香川のうどん屋を訪れるようになったのである。で、その彼がそんなことを言ってきたのである。 
「えっ、ヤバいって何が?」 
 いや、あの店の麺を打つのに使う小麦粉って、相当いいものを使っていて、なのにあの値段で出してること自体が驚きだよ」 
「えっ……そ、そんなに高い小麦粉を使ってるの?」 
「この前、ちゃんと小麦粉の袋を見て確認したから間違いないよ」 
 そう、オレ個人は、ただ食べて旨い不味いを判断しているが、宮本店主は料理人の目と舌でも現物を見ているのである。その彼が、オレは特別に岡製麺所がいいと勧めたわけでもないのに、こうまで宏美ちゃんの店を褒めるのを目の当たりにして、オレの岡製麺所を見る目に少し緊張が走るようになった。そして、同じ頃、岡製麺所の店主を務めていた宏美ちゃんのお父さんが病気によって店に立たなくなり、お母さんと宏美ちゃん主導で店が動くようになったのである。 
 それから5年間、オレは自分が長年取り組んでいる小説が思うように進まなかったため、それが完成するまでは罰として香川県に通うのを止めていた。そして、その間にオレが週に何度も通っている串カツ屋をやっている塚ポンが、一家を連れて香川に乗り込んだので、奴が帰ってきたら即座にオレはあることを訊いた。 
「まぁ、香川に2泊3日じゃ何軒もうどん屋は回れなかっただろうけど、その中でも1番旨かったのは……」
「岡製麺所です!」 
 食い気味に返ってくる塚ポンの答え。更に通販で「岡製麺所」の麺を取り寄せた漫画家のサイバラやその他の友達も、ホントに口を合わせたかのように「岡製麺所の麺は旨くて、いくらでも食える。いや、飲める!」という意見を伝えてきたのである。 

 オレは、改めて呆然となった。香川県で讃岐うどんを食べた回数なら、オレが断トツに多いはずなのだ。岡製麺所だって、少なくともオレは20回以上は楽に行ってるだろう。なのに初めて行った奴らや2~3回しか行ったことがない者たちが、ホントに口を揃えて「岡製麺所が1番旨い!」と迷いもなく言うのである。 
 気持ちがモヤついていた。そして、冷静になって自分の岡製麺所のうどんに対する気持ちを改めて考えたところ、ようやくある事に気づいたのだ。 
 オレが、まだ香川県にそんなに行ってない頃、岡製麺所からお土産うどんセットが何度か送られてきたことがある。それはオレが岡製麺所に行く度に、地元の美味しい食パンなどを大量に持っていき、そのお礼として宏美ちゃんが送ってくれたものだった。で、そのお土産うどんセットには、一捻り5玉分あるうどん玉が3つ入っており、あとはぶっかけ用のかけ汁が500ミリのペットボトル1本分入っていたのである。そして、 そのお土産セットに添えられた紙には、うどんの麺を入れた湯が沸騰してから13分~15分茹でて、ぶっかけで食べる場合はペットボトルに入った汁をそのままかけ、かけうどんで食べる時は、そのペットボトルに入った汁を2倍に薄めて下さいと書いてあっ 
 で、最初はぶっかけうどんにして食べてみると相当美味しく、次にかけうどんにして食べようと、ペットボトルの汁を2倍に水で薄めたものを温めて、それをうどんにかけて食べたところ正直、思ったほど美味しくなかったのである。これはうどんに対してホントに真面目な宏美ちゃんも読むかもしれないから、ホントに慎重に書くと、お土産用のぶっかけ用の汁はぶっかけうどんには合うが、かけうどんには少し大雑把な味がして 合わないのだ。で、そのことがオレの頭の奥に残ってしまい、自動的に岡製麺所のうどんの旨さは香川県では10位ぐらい。が、オレは宏美ちゃんが好きだから、香川に行ったら無条件で毎回岡製麺所に行くというサイクルを作ってしまったのだ。 
 そして、ここからがオレのダメなところなのだが、今から6年前ぐらいにオレは、その土産用のぶっかけ汁がかけうどんには合わないということを遠回しに宏美ちゃんに伝えた記憶が戻ってきたのである。「記憶が戻ってきた」というのは、実はオレは今から15年以上前に脳出血を患った際、脳も体も運のいいことに殆ど障害が残らなかったが、その代わりに高次脳機能障害の中の記憶障害が残ってしまったのだ。それはどんな 障害か超簡単に言うと、要するに脳出血になる前の記憶は割と鮮明に残ってることが多いのだが、それ以後の記憶というのがケースによって割とボッコリ抜けちゃうことがあるのだ。 

 話を戻そう。よって、宏美ちゃんに“ぶっかけ汁を薄めたモノはあまりかけうどんには合わない”ってことを遠回しに伝えたことをすっかり忘れていたオレ。ところが、今から約1年前に久々に宏美ちゃんに再びお土産うどんを頼んで(着払いにしてくれと頼んだのに、相変わらず宏美ちゃんは代金払い済で送ってきたんだけどさ)、その包みを開けた際、いつものように一捻り5玉分あるうどん玉が3つと、ぶっかけ用のかけ汁が500ミリのペットボトルに入っていたんだけど、それに加えてかけ汁専用の汁が1.5リットルのペットボトルに2本分。そして、あろうことか、700~800グラムはあろうかと思われる牛肉を炊いたモノまで入っていたのである。つまり、宏美ちゃんは代金もタダにしてくれた上に、岡製麺所の完璧な肉うどんが味わえるセットを送ってきてくれたのだ。もちろん、オレは即、そのセットで肉うどんを作って食べてみると、その味は岡製麺所で出てくる肉うどんとほぼ同じ味で、その時にまざまざと(ああ、今までオレは昔の記憶に囚われて、岡製麺所のうどんを舐めていた……)と思った。にも関わらず、オレはその感動もスッポリと忘れてしまい、自分の周りの奴らの岡製麺所に対する高評価に動揺しまくっていたのだ。 
 で、今から2週間前。オレは、5年ぶりに数人の友達たちと香川県を訪れた。そして、早速岡製麺所で肉うどんを食べた。
 2日後に友達がまた岡製麺所に行きたいと言ってその通りにし、そのまた2日後に再び友達が岡製麺所に行きたいと言ったので今回の旅行中3度目の訪問となった。で、肉・あげ・わかめがちょっとずつ乗っかった“幸せうどん(500円)”を食べていると、不意に何かが腹の奥から込み上げてきて、もう少しで泣きそうになりました。……ああ、幸せだなぁ~。

 

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著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

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