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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

さぁ、決着をつけようか!(後編)

 オレが、まだ脳出血を患う数年前、町内に『プッシュ・アップ』という、アメリカから直輸入したストリート系の服を売る店がオープンした。
 店主はジョニーというガーナ出身の黒人で、オレと奴はアッという間に仲良くなった。そして、そのうちオレはプッシュ・アップに行く時に、同じ立川市に住むハックという後輩を誘うようになった。ちなみに、ハックはパチンコ雑誌を出している白夜書房(ガイドワークスの前身の出版社ね)で昔、オレのページの担当編集者をやっていたが、その後、あまりにもポカが多いので白夜書房をクビになり、1年近く立川のアパートで引きこもっていた。が、プッシュ・アップに何度か連れてってるうちに、オレ抜きでも同店の奥にある部屋でジョニーとTVゲームをして遊ぶようになり、さらに数ヵ月後にはウチのオフクロが新聞の折り込み広告で見つけた、パソコンのプログラマーの経験が0でも雇ってくれるという会社に就職出来た。

 で、そんな3人グループに、さらに時々プッシュ・アップの店番を手伝いに来るジョニーの日本人妻のミチヨさん、そして、キャームも加わり、プッシュ・アップで色々下らないことを喋ってはゲラゲラ笑ったり、またある時はウチの庭でバーベキュー会をやるようになったのである。が、それから数年後、プッシュ・アップの売り上げが伸びていかないということで、ジョニーから店をミチヨさんの実家近くの神奈川県相模大野に移そうと思っているということを告げられた。そして、さらに数ヵ月経ってプッシュ・アップが相模大野駅前にオープンし、オレやハックもその立川の時より2倍以上に広くなった同店にお祝いに訪れたのだが、それから4~5日後にジョニーが電話で次のようなことを言ってきたのだ。
「イターヤさん……。膀胱炎って言ってたミチヨのことを神奈川の大きな病院に連れて行ったら、先生に子宮ガンになってるっていわれたよぉ」
 さらに3日後。再びジョニーから電話があり、今度は次のようなことを言われた。
「子宮ガンの手術をやるにはお金がかかるからプッシュ・アップでセールをやりたいからイターヤさん、協力してくれるかなぁ?」
 で、オレは当時連載していた雑誌の天柱などに、自分の友達のストリート系の服屋が今度大セールをやるので、みんな来てくれ~! もちろん、当日はオレも行くぞ~!といった文句を並べ、また、ジョニーが今回は日本の服も仕入れたいというので、キャームに協力してもらって日本の女性モノのメーカーの服もレンタル(売れた分だけ仕入れ先にお金を払い、売れ残りは返却するというシステム)で仕入れて店に並べることにした。で、新装開店初日、プッシュ・アップの売り上げは50万円を超え、オレやハックが大喜びしたのも束の間、翌日からは原稿書きで超忙しかったオレは殆どプッシュ・アップには行けなかったので売り上げはガタ落ちしたものの、とにかくミチヨさんは子宮ガンの手術を受けられたのである。

 数日後。オレの嫁と息子、そして、キャームとハックの計5人で神奈川県は伊勢原市にある東海大学の付属病院にミチヨさんの見舞いに訪れ、その帰りにどうせだから相模大野のプッシュ・アップにいるジョニーにも会いに行こうとオレが言うと、キャームが「いや、もう帰ろうぜ」と返してきた。その後、オレの数度に渡る説得により、キャームの口から次のような言葉が出た。
「じゃあ、寄ってもいいけど10分で帰るからなっ。いいか、ホントに10分だからな!」
 で、プッシュ・アップに寄り、ジョニーにその日のミチヨさんの具合を報告したのだが、その時に店のカウンターに若い派手な顔をしたネエちゃんがいて、ジョニーに「彼女、誰?」と訊くと「ああ、最近ウチの店を手伝ってくれてる女のコよぉ~」という答えが返ってきた。で、そうこうしてるうちに10分が経ったので皆に帰ろうと言おうとしたら、キャームが服をこう並べたらもっと売れるとか、この服は人目を引くからもっと店の真ん中に持ってこなきゃダメだとか言い出し、結局そのアドバイスは3時間も続き、そればかりか腹が減ったということで、オレら5名にジョニーとバイトの女のコを加えた計7名で近くの居酒屋みたいなところに入ることになり、そこでもキャームの話がさらに2時間続いた。
 10分と言っていたのに5時間……。その理由は“プッシュ・アップにいた若いバイトのネエちゃん”しか思い当たらなかった。

 それ以後、キャームは暇さえ出来るとジョニーの店に通い始め、レンタルで仕入れる日本の女性モノの服の量を増やしたり、駅前で配るビラの内容をジョニーやアルバイトの女のコにアドバイスしていたらしい。で、オレも(キャームはホントにジョニーを助ける気になったんだ)と感心しつつ、そんなある日、久々に半日ぐらい時間が出来たので相模大野のプッシュ・アップに行くと、例のアルバイトの女のコと常連の大学生の兄ちゃんが店の奥でイチャイチャしており、ジョニーに目で尋ねてみると、ニヤニヤしながら左右の人差し指の先をくっつけて(あの2人、恋人同士になったよぉ~)という合図を送ってきた。
 瞬間的に嫌な予感に襲われた。が、(いやいや、キャームはホントにジョニーを助ける気になっただけだよ!)という心の声がソレを打ち消した。
 が、キャームがジョニーのことを激しく否定し始めたのは、まさしくその頃だった。とにかく仕事帰りにウチに寄る度に「ジョニーは洋服屋なんかじゃない、ありゃただの素人だ!」とか「ビラを作る時だって全然考えちゃいねえし、アレで売り上げなんか上がるわけがねえよっ」といった文句を雨あられと言い始め、それを聞かされていたオレは(でも、ジョニーにキャームが言ってることを直接アドバイスしに行く時間も無いしなぁ……)と、ただ、イライラすることしか出来なかったのだ。
 で、そうこうしてるうちにキャームは、プッシュ・アップに並べていた自分がレンタルした女性モノの商品をすべて引き上げ、ジョニーの手伝いからはサッサと手を引いてしまったのだ。それから数日後、ハックと一緒にミチヨさんの見舞いに行ったオレは、その足でプッシュ・アップに寄った。そして、ジョニーにキャームが手伝いから手を引いた理由を丁寧に説明したのだが、それでもジョニーは納得がいかなかったらしく、オレが帰る直前、哀しそうな声で次のような言葉を吐いたのである。
「ボクはイターヤさんにフラれちゃったね……」
 ジョニーが何が言いたいのかスグに理解出来た。要は、イタヤさんは自分とキャームさんでは、やっぱりキャームさんの方を取るんだね……。ジョニーは、そう言いたかったのである。
 オレはその時、それを否定しなかった。もちろん、心の底では(キャームがこんなにもジョニーを助ける気になったのは、実はジョニーの店に若いネエちゃんがいたからなんだ。そして、助けるのを止めようと思ったのも、そのネエちゃんに彼氏が出来たからなんだ。いや、それが100%事実という証拠は無いよ。でも、一連の流れを見ると、キャームの心の中にはそういう信号があったんだ。オレには、それがわかるんだ)という思考が流れていた。
 が、オレはソレを言わなかった。理由は、連日の原稿書きの忙しさと、それに加えて自分の母親が既に肺ガンの末期に入っていたという心労から、もういいや……と思ってしまったのだ。そう、変な癖、幼稚なところもあるけど、それでもオレとキャームは、奴が小学2年の時にオレの家の真ん前に引っ越してきた時からの友達なんだ。そういう考えで脳味噌の入口に蓋をしてしまったのである。
 その後、数ヵ月もしないうちにミチヨさんは他界した。そして、さらにその数ヵ月後にジョニーは自分の店を服屋からソウルフード屋に変え、そのソウルフード屋は割と評判も良かったらしいが、オレとジョニーはミチヨさんの死後、結局2~3回しか会わずにそれきりになってしまったのである。



 その後、罰が当たったのか、オレにも色々な矢が飛んできた。
 まず、自分が脳出血で倒れ、それで死ななかったものの、退院して2ヵ月後には肺ガンだった母親が死んだ。オレは暫くの間、リハビリ期間を取ることにした。平日はウォーキングなどをしてノンビリと過ごし、週末の土曜か日曜にはハックと一緒に各温泉地に日帰りで訪れた。そして、その週末の日帰り旅行には、間もなくしてキャームも加わるようになっていた。
 日帰りで戻ってこられる温泉旅行というのは、朝の8時ごろに出発するとかなり遠いところまで行ける。高速を飛ばしていけば東は仙台、西は名古屋の方まで行ってこられた。草津温泉、法師温泉、伊香保温泉、四万温泉、塩原温泉、渋温泉、いわき湯本温泉、下呂温泉……etc。毎週毎週オレたちはホントに色々な温泉に通った。そして、そんな生活が1年半ぐらい続いた頃、オレはいつものキャームとハックに加えて、オレの嫁と子供、それに先輩の野澤さんとケンケンという友達、さらにはそのケンケンの嫁と子供も入れた計9名で、ケンケンのお婆ちゃんが静岡県で営業しているタケノコを掘れて、しかも、タケノコ料理も食べられるという食堂に行った。ところが、その帰り道にオレは運転中に眠ってしまい、車を脇の崖にぶつけて大破させてしまったのである。
 助手席に乗っていた嫁は胸部を打って唸っていた。また、オレの真後ろに座っていた、当時8歳だった息子は「これは現実なのか夢なのか!? どっちなんだあああっ!?」と錯乱しており、その息子の隣に座っていたハックは掛けていたメガネのレンズが割れ、それで目の上を切って血を流していた。そう、エアバックも全部開いていたし、かなり酷い事故だったのだ。
 ところが、オレは何ともないのである……。よく事故を起こしたのに無事な奴が「自分は、かすり傷だけだった」とか言うことがあるが、そのかすり傷さえないのである。で、結局はオレの車の真後ろを走っていた先輩の野澤さんが救急車を呼んでくれ、オレの車に乗っていた奴はオレも含めて全員病院に運ばれることになった。
 救急車を事故現場で待ってる間、野澤さんから「コーちゃん(オレ)の息子は多分興奮してるだけだし、ハックも目の上は切ってるけど大した傷でもないし、1番心配なのは胸を打って唸ってるコーちゃんの嫁だよ」という報告を受け、とにかくオレは出来るだけ嫁についててやることにした。が、幸いその嫁も骨などは折れてなく、また、息子の方もようやく落ち着きを取り戻したということで、事故の晩は病院で一泊したが、翌日には親子3人で静岡からタクシーで家に帰れることになった。

 家について一休みした後、ハックに電話を入れてみた。そう、事故を起こしてからさっきまでのオレは、下手すれば自分の家族が全滅していた可能性もあったので、心の余裕はゼロだった。そして、その心に少しだけ余裕が生まれたと同時に、ハックのことが心配になったのだ。が、電話をしても奴は出ず、オレは留守電に「ケガの方はどうだった? 連絡下さい」というメッセージを入れておいた。ところが、翌日になっても連絡が無かったので、再びオレはハックのケータイに電話を入れるとようやく奴が出たのだが、次のようなことを言ってきた。
「とりあえず、立川の目医者で色々検査をしなきゃなんないので、そのお金を払ってもらえますか?」
 もちろんオレは「うん」と答えたが、奴の声が何と言うか、異常に乾いていたのが気になった。そして翌日、その駅前の目医者でハックと待ち合わせて、確か2万いくらかの検査代を払い、改めて「悪かったな、居眠りなんかしちゃって……」と言うとハックは次のような言葉を返してきた。
「ホント、目が潰れるかと思いましたよ。板谷さんは俺のことを全然構っちゃくれないし……」
 しまった!と思った。確かにオレは事故を起こしてからの丸1日は、自分の嫁と子供のことしか考えていなかった。オレが事故を起こした日、電車に乗って1人で家に帰ったハックは、それまではオレのことは自分の伯父さん代わりとも言える人物だと思っていたのに、何だいっ、イザとなったら俺のことはほったらかしかいっ!! と考えても無理は無かったのだ。その後、オレは左目の上にガーゼが当てがわれているハックを夕食に誘ったが、確か、そのメニューは自分はあんまり好きじゃないと言って、奴は自分のアパートに帰ってしまったのである。
 翌日、野澤さんから電話が掛かってきた。オレは野澤さんに車の廃車処理とかを手配してくれたお礼などを改めて言っていると、彼が気になることを口にしたのである。
「なんかハックの奴は、キャームが間に入って、コーちゃんの車の保険屋と補償の交渉をするらしいよぉ」
(えっ、オレ抜きで? しかも、“キャームが間に入って”って何だよ、それ!?)
 そう思った次の瞬間、嫌な予感がオレの脳で弾けた。いや、実は車の事故を起こした1ヵ月ぐらい前から、オレとキャームの関係は少しギクシャクしていた。というのも当時、付き合っていた彼女とケンカをした野澤さんが仕事場は渋谷のマンションの一室を借りていたのだが、寝に帰る場所が無いということで困っていたところ、キャームが「なら俺の家の2階を勝手に使って下さいよ」と言ってきたらしいのだ。で、野澤さんは、その言葉に甘えて丸2ヶ月もの間、夜はオレの家から3~4キロ離れたキャームの家で過ごしていたらしいのだが、その間にオレとキャームは何度も会っているというのに、キャームはそのことをオレに一言も言わなかったのである。それである日、オレと野澤さんが会っている時に「あれっ、コーちゃんは俺が2ヶ月間、キャームの家にお世話になっていたことって知らないの?」って話になり、オレは驚いたのである。

 てか、別にゲイの三角関係の話をしているのではないのだ。野澤さんはオレにとってもキャームにとってもホントに尊敬できる、まさしく兄貴のような存在で、野澤さんがオレの著作物を読んだことがキッカケで交流が始まったのだが、そのオレが2ヶ月もの間、野澤さんが自分の家から数キロ離れたキャームの家に泊まっていたということを知らせなかったことに正直、呆気に取られていた。
 後日、もちろんオレはキャームに「何で野澤さんが2ヶ月もの間、お前の家に泊まっていたことをオレに知らせなかったんだよっ!?」と迫るも、「いや、それは野澤さんだって彼女とケンカしたから俺んちに泊まりに来てるなんて知られたら、あんまりカッコイイことじゃねえしさ」なんていうことを言って誤魔化していたが、オレには真実はわかっていた。つまり、キャームはオレの知らないことを1つ知ってるということで、オレに対してアドバンテージを持っていると思い、それを楽しんでいたのだ。で、そのことがわかっていたオレは、ここ数週間、日帰り温泉旅行にも行かずにいたのである。
 とまぁ、そんなことがあっての今回の“キャームが間に入って”である。
 保険屋でも、ましてやハックの身内でもないキャームが、ハックと保険屋による、やれ、治療費に幾らくれだの、会社を休んだ日給は何日分ぐらい出るんだ、といった交渉のハック側の黒幕になったというのである。てか、これは元々オレが入っている自動車保険なので、それこそオレ自身が友達のハックのために「いや、自分の後輩の目の怪我は思ったより大変なので、ここの治療費は全額負担してくださいよ。だって、そのための保険でしょ!?」と保険屋に吠えることが出来るのだ。
 が、この時もオレはキャームの好き勝手にやらせることにした。オレは、まだ脳出血のリハビリも完全じゃなかったし、なのに書き仕事も本格的に復帰をさせられていたし、とりあえず新しい車は買わなくちゃならないし、医者から知らされた上が「222」もあるというバカ高い血圧をどう下げていくかとか、やらなくちゃいけないことは山ほどあったのだ。

 そして、それから丸2年後。その間、1本の連絡も無かったキャームとハックの、ハックからオレの家にようやく連絡が入った。で、オレは自分の家の近くのファミレスでハックと会い、奴から次のような話をされたのだ。
「まぁ、保険屋との話し合いの決着は殆どついたんですけど、自分が今後失明しないという確率はゼロではないんですよ。で、それを未然に防ぐには、年に1回の目の精密検査をしなきゃならなくて、それが1回約2万5千円。それで最低でも20年は続ける必要があるので、2万5千円掛ける20で計50万円を板谷さんから貰いたいんですよ」
(やっぱり……)と思った。2年も待って、こんなどうしようもない考えをハック、いや、奴はこんなことを考えるはずもないので、黒幕のキャームからこんな感じで言えば?てな指示があったのだろう。オレは、青ざめた顔をしながらも正面に座っているハックに次のように返した。
「わかった。じゃあ、その50万円は明日にでもお前の銀行口座に振り込むよ。で、オレたちの関係もそれでおしまいな」
 と、ハックは急に慌てた表情になりながら、
「いっ……いや、自分と板谷さんは一生友達ですよっ。何言ってんですかっ、バカなこと言わないでくださいよ」
 という言葉を返してきた。そして、それを聞いた時、オレはホントにこのハックという後輩はバカなんだけど、でも、信じられないことに既に奴を半分以上許せている自分に正直呆れていた。
 で、その後、オレはハックの口座に50万円を振り込み、そして、以前のように再び日帰り温泉旅行に2人で何度か出掛けたのだが、ある時、また週末に今度は福島の郡山の方にある温泉に行こうと言ったら、いや、自分もそんなに暇じゃないんで、そう毎週ドコドコに行こうって言われても……という言葉を返された。
 オレとハックの付き合いはソレで終わった。もう何のためらいもなく奴から手を離せた。で、その年の忘年会にオレは2年ぶりにキャームを呼び、ハックについてあることをお願いした。
「アイツは山口県の下関から1人で東京に出てきて、他に頼れる奴もいないから、これからはオレが関われない分、キャームが面倒を見てやってくれよな」
「え、嫌だよ……。オレはアイツとそんな付き合いなんかするつもりねえもん」
「だって、キャームは事故の交渉で最後までハックの面倒を見てやったんだろ?」
「いや、あっ……あれは行き掛かり上、そうしただけで、アイツと2人で付き合っていくつもりは無いよ」



 つーことで、長々と書いてしまったが、オレがキャームを休むことにした理由はジョニーとハック、この2人の友達をキャームが関わったことにより失ってしまったからである。
 他人のことを自分の衝動的な行動でかき回しときながら、その自覚も無く、また新たに自分のことを殆ど知らない者たちに対してイイことを言おうとすると、例えばツイッターでのつぶやきなどが新興宗教の教祖みたくなる。そう、『人生は決して悪い事ばかりじゃねぇです。亡くなった人たちを取り戻す事は出来ないけど、沢山の思い出があるじゃねぇですか』とか大好きな長渕剛風に言う。正直言って、ソレを読んでるとヘドが出る。まず他人を救おうとする前に、お前は自分を救いなさいよ。
 自分を救うというのはどういうことかと言うと、人と付き合って、そのうち自分の嫌な面を知られても、相手がそれを許してくれたり治してくれるまで付き合い続けろということ。キャームは人を求める心、恋人を求める心は実は相当強いのだが、と同時に、もしその人物とある程度深く付き合って自分の嫌な面や弱い面を見られるのも死ぬ程嫌なのだ。で、そうなったらソイツと別れて、また自分のことを知らずに自分の話を聞き続けてくれる別の奴らを探す。その繰り返し。

 ハッチャキ、シンヤくん、セージ、ジョニー、ハック……。オレは今まで自分のオモチャ箱の中にキャームに勝手に手を突っ込まれ、そのオモチャが自分の思い通りにならないとわかると、それを放り投げられてきた。その上で今度もまたオレの読者が沢山混じってるジェロニモ会の参加者たち、その中で救世主を気取ったキャームに好き勝手なことをやられるのを見るのは、もうまっぴらなのだ。
 オレは、人間的にキャームのことが好きだった。一緒にいて、こんなにオレを笑かせてくれる奴は今でも他にはいない。だから、昔はコラムやエッセイにもキャームとのやり取りで爆笑したことをそのまま書いてきたのだ。が、今のキャームは笑えない。ブティックをやっていた頃までの豪放な決着のつけ方は形を潜め、今は例えばオレが美味しい食べ物屋を発見し、そこにキャームを連れていくと、オレの知らないところで奴はさも自分が発見したような感じで、その店のことを話し出すという。でも、コイツはわかっちゃいない。その1軒1軒を発見するために、オレはその10倍のハズレを引いているのだ。で、ようやく発見すると、その1軒をキャームがトンビのように上からサッと攫って……いや、別にそれでもいいのだが、昔のキャームはそんなセコい真似はしなかったのである。
 つーか、キャーム。負けたっていいじゃん。オレだって負けてばかりだし、キャームが好きな長渕剛だって最初は夫婦ゲンカで嫁の志穂美悦子にメチャ負けしたんで、極真カラテを習い始めたんだろ? でも、今もファンの前じゃメチャメチャ格好イイわけじゃん?


 負けても照れ笑いが出来る男、早くそうなったお前を見せてくれよ。

 

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著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

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