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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

特技、失神

 オレは45歳ぐらいまで、神を失う、つまり、失神したことは、たったの2回しかなかった。 
 初めて失神したのは、高校2年の時。上野の「デリー」というカレー屋でカシミールカレーという辛いカレーを食べ、2口目に脇腹に差し込みが走った次の瞬間、オレはその場で気を失っていた。そう、辛いカレーのスパイス、それで失神してしまったのである。  
 2度目に失神したのは、その1回目の失神から半年ぐらい後のこと。その日、六本木のディスコで踊っていると突然、場内に西城秀樹が歌う「ヤングマン」が流れ始めた。そして、オレもみんなと一緒に西城秀樹の歌声に合わせてY.M.C.Aという文字をポーズで作り、まさにノリノリになっていた。で、2回目に再びそのY.M.C.AのYの字を表現しようと、両腕を思いっきり上に上げた瞬間、天井から垂れ下がっている何かの機材に左手の甲が当たり(痛っ!!)となった。が、その後もオレは踊り続け、再びY.M.C.Aという文字を体を使って表現していたところ、目の前で踊っていた2人組の女の顔にナゼだか赤い点々が飛んでいた。で、(コイツらは不思議な化粧をしてるなぁ~)と思いながらも、ふとさっき何かの機材にぶつけた自分の左手の甲を見たら、その中指の付け根あたりの皮膚がパックリと開いていたのである。パニックになったオレは、すぐにトイレに駆け込んで水道で、その左手の甲を洗っていたら、背後から友だちの「どうしたんだよ、板谷?」という声が聞こえた。それに対して何かを答えようとした次の瞬間、オレはトイレの床に崩れ落ちて気を失ったのである。そう、2度目の失神は、自分の傷を見たショックが原因だったのだ(って、おかしいよな。だって、この頃はオレは頻繁にケンカしてて、体中結講傷だらけだったのに)。 

 で、それ以降は失神したことなどなく、よくテレビでロックスターのライブを見に行って気を失うとか、少し暑い日に熱射病になって倒れる奴なんかを見ると(何なんだよ、アイツら。オレも1度でいいから失神してみてえわ)と余裕をかましていたのである。 
 さらに、オレが40歳ぐらいになると当時、糖尿病を患っていた親父のケンちゃんが、3~4ヵ月に1度の割合で低血糖で気を失うようになった。が、ケンちゃんは、いつも1分以内に我に返り、救急車を呼ぼうとすると「必要ねえよ!!!」と怒るので、そのまま静養させていたのだが、オレは心の中では(普段は自分のことを“糖尿ヘラクレス”とか呼んでタフぶってるけど、最近は全然ダメじゃねえかよ)と、ケンちゃんのことを軽蔑する始末だった。 
 そんなオレの体に大きな変化が現れ始めたのは、自分が脳出血という大病を患った3年後ぐらいからのことだった。幸い脳出血の後遺症も殆ど克服し、それなりに快適な生活を過ごしていた。ところが、ジムで無酸素運動(重い負荷を筋肉に与える運動)をしている時や、居酒屋などで酒を飲んでいる時に頻繁に失神するようになった。そう、オレも糖尿病になっていて、ケンちゃんのように低血糖を起こすようになっていたのである。 
 今、思い返してみると、特にオレと酒を飲んでいて、その最中にオレがブッ倒れた現場に一緒にいた当時の彼女たちには、ホントに迷惑をかけたと思う。この場を借りて、改めて謝りたい。そして、さらに驚かせたと言うか、呆れさせたのが東映のプロデューサーのスガヤさん、それとサイバラねーさんの息子のガンジである。この2人と会う時は大抵が一緒にジムでトレーニングしてるか、何人かで集まって酒を飲んでる時なのだ。そう、つまり、オレが1番失神する確率が高い時なのである。スガヤさんは3回に1回、ガンジに至っては2回会ったら1回は失神していたのである。ホント、こうなってくると彼らにとって、オレは失神マニアだった。 

 で、オレが57歳の時に初めて人間ドックで検査してもらったところ、オレは立派な糖尿病患者で、とにかく体重を落とさないとハンパなく重い糖尿病になって、下手をすると腕や脚を切断しなくてはいけないことも有りうるよ、と医者に言われた。つーことで、体重が105キロあったオレは、半年間で94キロ前後まで減量。すると低血糖のような症状になることは皆無になり、よし、こんなに体調が良くなるのなら、もう10キロほど体重を減らしてみようと思った。 
 ところが、そこからの減量がなかなか上手くいかず、まぁ、週末になるとグルメ会と称して各地方のレストランや食堂などを回ることが多いので、体重は93キロから96キロの間を行ったり来たり。そして、つい先日のこと。朝にジムに行って、夜はいつも通っている近所の串カツ居酒屋で酒を飲んでいたところ、久々に低血糖になって失神し、気がついたら救急車で病院に運ばれていたのである。 

 

 つーことで、オレは現在でも糖尿病と闘っているのだが、まぁ、これからは平日はより健康的な食生活をし、もちろん運動もちゃんと続けていこうと思う。で、それでも失神することが多々あったら、もう人に迷惑をかけるのは嫌だから、1人で日本国中の旨いものを食べる旅に車で出掛け、その道中でキャームやカモ、そして、オレの両親もいる世界に向かおうと思います。
以上!

 

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著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

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