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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

キャームを休もう

 キャームという友達がいる。

 その付き合いは、奴が小学2年のときにウチの真ん前に引っ越してきてからだから、今年でちょうど40年だ。この男の特徴については、今までもオレの著書などに散々書いてきたから今回は省くが、とにもかくにも話好きな奴で、オレが脳出血をやる以前はウチに週4回ぐらいやってきて、大抵夜の9時から翌朝の4時ごろまで、とにかく何かに取り憑かれたようにズーーッと喋りまくってるのである。

 ところが、今から2年前。オレと奴との間に溝を作る出来事があった。

 というのも、オレとキャ-ムには仲良く交流しているNさんという男の先輩がいて、そのNさんは音楽のプロデュースもやってることもあって話がメタメタ面白く、あの他人には超厳しいキャームでさえ、このNさんのことは無条件で慕っていたのである。で、そのNさんにある事情があって、夜、彼が帰って寝る部屋が新たに必要になり、そんな時にキャ-ムが「じゃあ、俺んちは何部屋も空いてますから、夜になったらウチに寝に来て下さいよ」と言ったらしいのだ。

 かくしてNさんは、それから2ヶ月間に渡り都内での仕事が終わると、郊外の日野市にあるキャ-ムの家に来て寝てたらしいのだが、キャ-ムはソレをオレに一言も言わなかったのである。それどころか、Nさんが自分の家で寝てる時も平気な顔をしてオレんちに遊びに来た挙句、とにかくNさんが今、自分ちにいるということは全く口にしないのだ。

 いや、こんなことを書くとホモの三角関係と勘違いされそうで嫌なのだが、元々Nさんはオレと友だちになりたくて考えた末に、オレの本に当時その住所が書かれていたキャ-ムのブティックを訪れたのである。そして、キャ-ムと親しくなってから、キャ-ムからオレを紹介されたのだ。

 ま、そんなことはこの際、どうでもいい。オレがその時に1番腹が立ったのは、キャ-ムは自身を最もNさんと仲の良い男にしたくて彼が自分の家に寝ているのを秘密にしていたのである。要するに、そのことでアドバンテージを持とうとしたのだ。

 てか、オレとしたらそんなNさんが誰と1番仲が良いなんてことはどうでもいい事なのだ。オレはNさんの数いる友だちの中の1人として、今後もNさんと付き合っていければ何の不満もないのだ。ところがキャ-ムは、とにかくNさんと仲良くなることに必死になっていて、Nさん情報をあえてオレには秘密にしていたことに幼稚さというか、気持ち悪さを感じた。

 ちなみにNさんがキャ-ムの家から撤退した後にウチに遊びに来た際、「コーちゃん(オレ)は、俺がキャ-ムの家に2ヵ月泊まってたってことを奴から聞いた?」と言われ、「えっ、Nさんは2ヵ月間もキャ-ムの家に泊まってたんスかっ?」と返すと「アイツ……何でそんなことをコーちゃんに黙ってるんだろうな」と苦笑していたのである。

 で、とにかくそんなことがあってから、オレはキャ-ムに対して何だか疲れ切ってしまい、そして考えた末に“キャ-ムを暫く休む”ことに決めたのだ。んで、それからのオレはキャ-ムのところに一切電話を入れなくなったばかりでなく、夜も11時くらいにはさっさとベッドに入ってしまい、その上、土・日になるとハッチャキという友だちと早朝から遠くの温泉地とかに出掛けるようになり、とにかくキャ-ムに捕まらないようにしたのである。

 ま、キャ-ムもソッチがそう出るなら俺だって……思ったのだろう。オレと同じく殆ど電話すら掛けてこなくなり、1回たまたま用があって奴の家に行ったら、その時、キャ-ムは仕事から車で帰ってきたのだが、1人にも関わらず車の中から大声で喋っていて、また、時には笑ったりもしているのである。で、オレはキャ-ムは頭がオカしくなったのかと思ったのだが、実は彼はケータイのコードレスを使って会社の仲間と電話をしていて、とにかくコイツは無理矢理にでも相手を見つけてはお喋りに夢中になっていることが再確認できたのである。

 キャ-ムを休み始めて2年近くすると、オレはイロイロなことがわかってきた。

 まず友達と会っていても無理して話したくない時は、そのままテレビをボーッと見ていたり、車を黙って運転しててもいいってことに改めて気がついたのである。そう、キャ-ムと会ってると絶えず奴が話し掛けてくるので、オレにも変な癖がついてしまい、とにかく人と会ってる時に無言の状態が少しでも続くと息苦しくなり、とにかく自分が何かを話してるのだ。が、人というのは静かにしたい時は、たとえ会ってる最中でも静かにしてていいのである。

 また、人との関係は勝ちか負けか、敵か味方か……だけではなく、とにかく一緒にいるだけで何だか心地が良かったり、時には相手のプランにすべて乗っかって、それを客観的に楽しむってことも意外と楽しいことなんだ、ということもわかった。

 こうしてオレは、自分で言うのも何だが、他のイイ知り合いや友だちもポチポチと出来てきて、またその交流のバランスも非常に良くなってきたのである。そう、人間というのは自分の好きなことばかりじゃなく、たまには人の予定とか計画に付き合ったりすると意表を突いてソレがモノ凄く面白く感じることもあり、さっきも言ったが別に勝ったとか負けたっていうことに必要以上に拘らなくても、それはそれで充分に楽しいのだ。良かったな、オレ。50手前にきてようやく“普通の感覚”に目覚めたな!

 キャ-ムが久々にオレの家にやってきたのは、今年8月のロンドンオリンピックが始まる1週間ぐらい前のことだった。

「コーちゃん。俺、ツイッターをやりたいんだけど、そのやり方を教えてくれよ」

 そう、奴はオレが約2年前から、角川書店の雑誌でダイエットの連載を始めた時に、毎朝ツイッターに自分の体重を書き込むという日記のようなモノを始めたことを知っており、突然そんなことを頼んできたのである。で、オレは断るのも何だったので、自分のツイッター上で「あわわわ……もうすぐキャ-ムがツイッター上に現れるぞ。あわわわ……困った、どうしよう」といった宣伝を書き、その晩からキャ-ムのツイッターがスタートした。

 すると、みるみるキャ-ムのフォロワーになる奴らが集まり始め、ま、集まったといっても別に芸能人や有名人ではないのでタカが知れてるが、驚くことにキャ-ムはその何百人というフォロワー1人1人に返事を返し始めたのである。そして、1週間もするとオレの約2年分のツイート数がキャ-ムのツイート数に抜かれ、フォロワーも500人以上に膨れ上がり、そのことにア然となってるうちにロンドンオリンピックが始まったのだ。

 このロンドンオリンピックを利用した、奴の河村サークルの張り方が、また凄かった。河村サークルというのは、ある物事を語る時にキャ-ムは熱心に話を聞いてくれる者を4~5人捕まえ、とにかくその中で異常に盛り上がるといった、キャ-ム独自の作戦なのである。で、奴はオリンピック期間中に毎日7~8時間にも渡って、ツイッター上でイロイロな奴とチャットを始めたのである。で、その途中で少しでもツイッター上の熱が覚めてきたと思うと、自分のところにツイートしてくる奴の9割近くがオレの読者だと知ってるキャ-ムは、その競技の間にオレに関するクイズを次々と出題したり、また、ある時などはウチに突然やってきたかと思うと、家の中の様々なモノを写真に次々と撮り、それをツイッター上で勝手に紹介してるという有り様なのだ。

 

 つーことで、結局何が言いたいのかというと、オレはまだキャ-ムの休憩時間を終わりにした覚えはないっつーーーのっ! だきゃらキャ-ム、そうやって人んちに毎日来るんじゃねえええっ!!

 

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著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

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