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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

キャームの宴“ジェロニモ会”総括(前編)

 3~4年前から始まった、キャームを幹事にしたファン感イベント“ジェロニモ会”。
 そう、奴が自分のツイッターのフォロワーたちにDMで直接連絡を取り、それによって集められた者たちを新宿などの飲み屋に呼び寄せる。そして、司会&進行係となったキャームが、一晩中参加者に順番に話しかけて、それが早朝まで続くらしかった。
 ちなみに、奴のツイッターをフォローしてる者たちの殆どがオレの本の読者である。そうじゃなかったらキャームという人物は、殆どの者が知りようもないのだ。つまり、かなり上からの言い方で恐縮だが、そのジェロニモ会にキャームがオレを招待すれば全部ではないにしろ、さらに喜ぶ奴が沢山いるはずなのである。
 が、オレは第3回目までのジェロニモ会には1度も顔を出していなかった。理由は、キャームに呼ばれてないからである。

 もう何度も書いているが、キャームは極端な負けず嫌いなのである。要は「コーちゃん、悪いんだけど今度、俺主催の飲み会をやるから来てくれない?」、その一言が絶対に言えないのだ。で、そういうケースを何度も目の当たりにしてるオレは、このジェロニモ会に関しては、キャームからちゃんとした誘いの言葉が無ければ一切無視することにしたのである。
 無視することにしたといった割には、何でオレがジェロニモ会のことをココまで知っているのかと言うと、そのジェロニモ会でキャームの右腕になっている「にきサム」という男が元々はオレのツイッターのフォロワーで、奴から時々ジェロニモ会のことを耳にしていたからである。ちなみに、このにきサムもオレのプールからキャームに釣り上げられた男で、以前、オレんちで仮装パーティをやった際に、にきサムにも声を掛け、その場でキャームは初めて奴と会ったのだ。で、横浜の広告代理店に勤務しているにきサムと話しているうちに、キャームは(コイツは使える!)と思って、いきなり自分主催の飲み会の右腕にしたのである。
 にきサムの話では、新宿で開かれた第1回目のジェロニモ会には20名以上の人が来て、キャームは一晩でピザ一切れしか食べられずに大好きなお喋りを続けたらしい。続いて、その半年後には第2回目のジェロニモ会が開かれ、この時も30名近くの人が参加し、やっぱりキャームは夜通し喋り続けていたという。で、キャームはこの時にどんな話をしていたのかと言うと、まず最初に相手の話を聞いてやり、そこで自分なりの答えを返す。んで、そうこうしてるうちに必ずオレの親父のケンちゃんのことを話し出し、各人から笑いを取っていたとのこと。

 てか、約2年前にケンちゃんが他界するまでは、キャームとケンちゃんはハンパないライバル同士だったのである。両方とも皆の前で単独で話をしたいという願望が以上に強く、キャームが喋っているとケンちゃんは「マイ ハート」という英語の投げ縄を使って注意を強引に自分の方に引き、皆が(ケンちゃんが英語!?)と思っていると、その後、30秒間ぐらいデタラメな英語を話し、そして、日本語に戻って自分自慢を始めるのである。
 で、そうなってくると今度はキャームがケンちゃんに酒をフルーツ牛乳のようなペースで飲ませ、結局は潰してしまってから再び皆の前で自分の話を始めるのだ。そんな関係だったのに、キャームはもうそんなケンちゃんのことをネタにしているらしいのだ。
 冷静に考えてみると、オレは盗まれっぱなしだった。キャームのことをツイッターにリンクするとことによってフォロワーを引っこ抜かれ、にきサムも勝手に連れていかれ、トドメは他界したケンちゃんのことも好き勝手に話されているのである。
 その結果、キャームは相当に自信をつけてきた。そう、素人の自分が主催する会に30名以上の人が集まり、会もそれなりに盛り上がっているのだ。が、と同時に、こういう会を自分とにきサムだけで最後まで維持するのは大変なことだということもわかってきたらしい。

 で、3回目のジェロニモ会で、奴は遂にあからさまな作戦に出てきたのである。当時、オレが書いた「ズタボロ」という小説が「ワルボロ」に続き東映で映画化され、その公開日があと数日に迫っていた時に、ジェロニモ会の開催を告知し、飲み会の前に皆でその「ズタボロ」を観に行こうという計画を立てたのである。
 その時は流石にキャームはオレんちに来て、そのことを口にしたのだが、やっぱり「だからコーちゃん、その後の飲み会に来てくれよ、な?」という一言は出てこず、オレの方から「じゃあ、キャーム。オレもその飲み会に参加させてくれよ」と言うのを待っていたのである。が、この件に関してだけは、あくまでもオレは折れなかった。そう、じゃあオレも参加するよという素振りは一切見せず、逆にある質問をしていた。
「つーか、キャーム。お前は何でそんな飲み会を何度も開いてんの? 女が欲しいのか?」
「いや、参加する女性は結婚してる人が多いし、そんなこと考えちゃいねえよ」
「じゃあ、何が目的なんだよ? てか、オレのために……とか言うなよっ。オレは、そんなこと1度も頼んじゃいねえし、映画だって売り込みは東映に任せてるんだから。何が目的なんだよ? なぁ?」
 キャームからのハッキリした答えは無かった。
 で、普通の人はココで勘違いをするのである。そう、何だかんだ言いながらも、キャームさんはゲッツさんのことを助けたいんですよ。と、そんなことを考えるのである。が、それは違うのだ。奴との付き合いが今年で44年目に入るオレが確信を持って言うが、要は、キャームは生徒の前で色々なことを言って尊敬される3年B組キャム八先生になりたいのである。そういう瞬間が好きなのだ。で、そのためだったら、ここまでの準備をしてしまうのだ。

 結局、第3回目のジェロニモ会には40名を超える人たちが参加し、約束通り、そのうちの10数名を「ズタボロ」が上映されている映画館に送り込み、その後、あろうことか、その者たちを個人的に予約した運転手付きの送迎バスで飲み屋の会場となっている新宿まで送り、そこで一夜を明かしたとのこと。
 てか、ただの飲み会に何で運転手付きの送迎バスが出てくるんだよ? ぶぅわはははははっ!! 書いてて思わず笑っちゃったぞ、おい。しかし、元々考えがズレてるにしても、ココまでズレてるって凄いよな。その上、誰の注意も聞かないから、放っておくとドコまでもそのズレ軌道で走り続けるのである。
 で、それから半年後。第4回目のジェロニモ会が開かれるという情報をにきサムにより知らされた。てか、もういいだろ、ジェロニモだか何だか知らないけど。オレは当然のごとくそう思った。
 翌晩、久々にキャームがウチに来た。で、2ヵ月後の8月13日(土)にジェロニモ会をやると言う。そして、さらに奴は次のようなことを口にしたのである。
「そのジェロニモ会を最後のジェロニモ会にするつもりなんだよ」
「えっ………」
 そう言われて改めてキャームの顔を見ると、奴の瞳が少し潤んでいるように見えた。

                  以下、次号で!

 

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著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

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