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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

後悔山脈

 オレはツイッターとかにも書きまくっているが、オレんちから8キロほど離れた八王子市にある「ふたばや」の肉入りタヌキうどんが死ぬほど好きだ。
 いや、今でも日本一旨いのは香川県にあるいくつかの店の讃岐うどんだとは思っているが、それでも「ふたばや」のうどんに対する愛が15年以上も止まらない。元々この店のうどんは、埼玉南部~東京西部にかけて伝わっている“武蔵野うどん”で、オレも今から10年ぐらい前は、その各所にある武蔵野うどん店を食べ歩いていたが、やっぱり讃岐うどんと比べると、その旨さはやや落ちるのだ。
 ところが、この「ふたばや」のうどんだけは違うのだ。店舗は普通のモロ民家で、暖簾を掛けなけりゃホントに店だとわかんないし、ざるうどんがメインメニューの麺はゴツゴツした感じで1本1本太さが違う、一見すると店の外観もうどんの質も雑そうな感じなのだ。が、その麺が甘辛くて濃いカツオ出汁が効いたツユと絡まると、美味しいのは勿論のこと、舌の上を一定してない麺が通っていくので決して飽きることがないのだ。

 オレは、このふたばやがお気に入りになってから、1年半はさるうどん、もしくは時々カレーうどんを注文していた。もちろん、ざるうどんがメインメニューなので、他の客たちも注文するのは殆どがざるうどんだった。その中で、いつ行っても大抵は3人組でいる貧乏臭い常連(2人ジジイ、1人ババア)がいて、その人たちだけは必ず揚げ玉がゴッソリとのった温かいタヌキうどんを食べていたのである。
 最初は、その3人組を横目で見ながら正直、オレは彼らをズーッとバカにしていた。
(何でコイツらはざるうどんを食べないのか? タヌキうどんだったら何もこんな混み合う店に来なくても、そのへんの適当に空いてるうどん屋で食えばいいのに……)
 で、ある寒い日のこと。ふたばやに入ったら、相変わらず例の3人組がタヌキうどんを食べていて、とにかく寒かったので、ついオレも魔が差してタヌキうどんを頼んでしまったのだ。1口……2口……3口目でオレは自分が今まで、とんでもない間違いを犯し続けていたことを思い知ったのだ。この店の固めの麺が温かいツユに絆されるようにして、ハンパなくエエ状態になっていたのである。また、それに揚げ玉の香ばしさが相俟って、とんでもない奥行きのある世界を作っていた。
 それからというもの、オレはタヌキうどんを食べ続け、それを繰り返しているうちに、最初っから豚肉を入れた方がツユのコクが絶妙になり、さらに6~7口目を食べ終わった時点で、テーブルの上に用意されている擦り胡麻をスープの中に大さじ3杯くらいブチ込むと、さらに圧倒的なコクが加わり、もうそこからのツユはその昔、ヨーロッパの国々がソレを自国のものにしたいと戦争を始めたワインのようにハンパなく極上の味になっているのである。

 ところがそんな矢先、ショックな出来事が起こった。ふたばやの営業時間は、昼は午前11時~午後2時、夜は午後5時~午後8時までで、休みは土曜の夜と日曜だった。が、その営業時間が昼のみの1日3時間だけになってしまったのである。
 理由は、この店でズーッと1人で麺を打ち続けている70代のオジさんの腱鞘炎が悪化し、昼の分しか麺を打てなくなってしまったのだ。……ショックだった。オレが店に入った時、オジさんはいつも入り口脇のガラス貼りの小さなスペースの中で麺を打ちながらもオレにニコニコしながら頭を下げてきて、また帰る時も目が合うと、何度も何度もペコペコと頭を下げてきた。そのオジさんが客のために腱鞘炎と毎日闘いながらうどんを打っていたというのに、自分は何の助けも出来ないのだ。そして、その後もオレは、仕方なく昼の部に淡々と通っていたのである。

 ふたばやに通い始めて丸10年が経った頃から、オレが自身のツイッターに時々書いているふたばやの記事を読み、自分もその店につれてってくれないかという友達が何人も出てきた。その中でも特にハマったのは、まずは千葉の木更津に住む6つ年下のクマという後輩で、ふたばやの肉入りタヌキうどん(麺3玉入り)を食べた途端、ホントに目の色が変わり、それからというもの月1~2回のペースで、ふたばやのうどんを食べるためだけに東京湾アクアラインを使って八王子まで約60キロを通ってくるようになった。
 続いて大ハマリしたのは、昔から八王子に住んでる10コ年下のシンヤくんという元ヤンで、彼もクマと同じく肉入りタヌキうどん(麺2.5玉入り)を食べるとそのまま唸り出し、以後、家族を連れてふたばやに頻繁に通うようになった。
「いやあ~、板谷さん。自分、もう40年以上も八王子に住んでいるのに、こんなに旨いうどん屋を立川に住んでる板谷さんに今頃教えてもらうなんて、マジで恥ずかしいっス」
 シンヤくんは事あるごとにそんなセリフを吐き、ナント、長女が高校に受かった直後にシンヤくん夫妻に当の長女とオレの4人でふたばやに直行してお祝いしたというエピソードもある。

 そして、大ハマリした3人目は東映でプロデューサーをやってる菅谷さんという、オレの15コ年下の男で、ある日、彼が昼に遊びに来たので八王子のふたばやといううどん屋に行きましょうと誘うと、「えーーーっ、うどんですかぁ?」と明らかに浮かない顔になった。で、それでも半ば強引に連れていき、肉入りタヌキうどん(麺3玉入り)を数口食べた瞬間、彼の顔色が明らかに変わったのである。「どうでした、ふたばやのうどん?」。店を出た後で菅谷さんにそんな質問をしてみたが、彼は何も答えなかった。そして、その日の夕刻。今度は高田馬場にある「成蔵」という日本で1~2番目に旨いトンカツ屋に連れていき、そこの特上ロースカツを食べさせた後で再び「どうでしたか、成蔵のトンカツ?」と尋ねたところ、次のような答えが返ってきたのである。
「いや、確かにココのトンカツは、俺が今まで食べたトンカツの中でも1番旨いとは思うんですけど、もう昼間食べたうどんが旨過ぎて、トンカツの味が今、宙に浮いたままなんですよ」
 つーことで以後、菅谷さんもウチに顔を出す度に、オレと一緒にふたばやに直行するようになってしまったのである。

 で、ふたばやの味に雷を落とされたその3人に、あの店には跡継ぎがおらず、このままだとあと数年もしないうちに閉店になってしまうと告げると、ナント、クマと菅谷さんは真剣に今の会社を辞めることを考え始めた。また、ある日、シンヤくんが珍しくオレの前でもピリピリしてたので「何かあったの?」と尋ねてみると、あろうことか、解体屋をやっているシンヤくんの後輩が、あのふたばやを営業している一家と親戚の関係にあたるらしく、先日「ウチの跡を継いでくれないかなぁ?」と例のオジさんに聞かれたが、思いっきり断ってしまったらしいのだ。
 実を言うとオレ自身も今、ちょっと手こずっている小説さえ仕上げてしまえば、ふたばやのオジさんに頭を下げて麺の打ち方や出汁の取り方を教えてもらおうという気はあるのだが、クマや菅谷さん同様、最後の最後でその決心がイマイチつかないのである。
 ああ、あの甘辛いパンチの効いたツユにゴツゴツと絡んでくる不器用な麺。そして、それをサポートする揚げ玉の香ばしさと擦り胡麻の堪らないコク……。


 あのうどんが食べられなくなったら………ああ、どうするんだ…………どうするんだよおおおっ!?

 

 

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著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

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