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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

どうして泣けないんだろう

 先月(6月)5日の未明、ふと目が覚めた。

 枕元の時計を見ると、夜中の2時5分を指していた。とりあえずトイレに行って小用を足し、再びベッドに横になって目を閉じたが、長年の習慣でそう簡単には二度寝は出来ないと感じ取った。タメ息をついたオレは、枕元の時計の隣に置いてあったケータイを手に取り、中身を開いてみた。「いいね」が11個、そして、DMが1通来ていた。オレは、そのDMに目を通してみた。
 送り主は、オレの読者であり、キャームの熱烈なファンでもあるⅯという奴だった。コイツは明らかなアル中で、1~2カ月に1回ぐらいオレのツイッターにツイートしてくるのだが、時々何か文句がありそうなことを書いてくるので、「あっ!? 何だよ」と強気の言葉を返すと、一転し急にコチラの機嫌を取るようなツイートを返してくる男だった。
 DMの内容は「キャーム兄貴の直電話に連絡。すると親戚の方が出て話をしました。兄貴は……本当に……。これならわかると思いますが宜しくお願いします。真実を」ということが書いてあった。またアル中にかまけたわけのわからない文章送ってきやがって、と思った。で、嫌な気分になったので、そのDMをオレのグループLINEに転送して、その後で「アル中野郎が、また訳のわからないこんなDMを送ってきやがったよ(≧▽≦)」という文章を追加で送った。すると数十分後にグループLINEに入ってる塚ポンから返信があった。
『何ですか? この暗号みたいなDMは? この手の人は相手にしない方が良さそうな感じですね。オナニーでもしてグッスリお休みください☺』
 まぁ、普通はそう思うよな、と思った。が、時間が経つにつれ、胸騒ぎのようなものが徐々に濃くなってきた。
 ふと気がつくと、時刻は午前6時20分になっていた。そう、2時間ぐらい寝てしまっていた。ケータイを見るとグループLINEのメンバーから、いくつかの返信がきていた。内容は皆、そんなLINEはイタズラだろうから相手にしない方がいいっスよ、てな感じだった。そして、ハッチャキからも次のような返信があった。
『たぶんこれはダイイングメッセージですね。ヒントは縦読みです』
 オレは再びⅯから届いたLINEを見てみた。が、縦読みにしても全く文章になってなかった。
『笑えません』
 イラっと来たオレは、ハッチャキのLINEにそんな返信をした。すると1時間後、ハッチャキから次のような返信があった。
『申し訳ない。ちゃんと読んでなくて、内容を把握してませんでした。午前中にキャームに連絡してみます』
 オレは、おお、頼むよ。アイツは前にオレが本気で怒って以来、オレからの電話には殆ど出ないからよ、と返した。以前、このコラム連載の中でも書いたが、ハッチャキはキャームに就職先を世話してもらったこともあり、以前は頻繁にキャームと連絡を取り合っていたのである。

 約1時間後。ハッチャキからオレのLINEにメッセージが入った。
『ちょっと時間が早過ぎたのか電話に出ません。折り返し無かったら、また掛けてみます』
 そして、更に約30分後。今後はハッチャキから電話が入った。
「……………板谷くん。キャーム死んじゃったって」
 暫くハッチャキの言葉の意味がわからなかった。そして、ボーーーっとしていると、ケータイの受話器の向こうから再びハッチャキの声が響いてきた。
「さっきキャームのケータイに再度連絡してみたら、キャームが出たからさ。『ああ、いたんですかぁ~!』って言ったら、『誰ですか……?』って返答があったから、『俺ですよ、俺。ハッチャキですよ』って返したら、『あ……ボクは直樹(キャーム)の兄ですけど』って言葉が返ってきてさ。で、『あの、キャームさんは?』って訊いたら『ああ、直樹は今年の1月8日に死にました』って返答があったんだよ……」
 い、1月8日って言ったら、今から5カ月も前のことじゃんかよ………。

 いや、実は去年の12月26日にオレは恒例となっているウチでの忘年会にキャームを誘った。が、毎年の忘年会だけは必ず顔を出すキャームが、この年は顔を出さず、おかしいなぁ~と思っていた。その忘年会が開かれていた12月30日の午後6時にキャームからメールが届いていた。
『DMを見たよ。実は二日前に風邪を引いて今は全く食欲が無くて寝込んでいますわ。すまん』
 そして、年が明けた今年の1月2日。会社のある名古屋に帰る前、嫁のミカと一緒に見舞いの意味も込めてキャームの実家を訪れたオレの弟のセージは、そこでようやくキャームと対面。キャームはだいぶやつれた感じみたいだったが、セージ夫婦の顔を見るとスグにいつものおしゃべりが爆発し、玄関のドア前に立ったまま3時間も喋り続けたらしい。
 が、その中でもセージが「キャームくんは今、働いてるの?」と訊くと、足の皮膚癌のせいでそんなに機敏には歩けないし、ヘルペス菌が入って手術した右目も殆ど見えないわで今は働いてはおらず、貯金を切り崩して生活してるよと答えたらしい。で、セージが「それなら生活保護金が出るように市役所に申請すればいいんじゃない?」と言うと、「生活保護金っていうのは余っ程の障害を持ってないと認可されないんだよ」という言葉が返ってきたという。
 で、キャームの兄の話では、そのたった6日後にキャームが他界してしまったというのだ。てか、それより何より、なんでキャームの兄はキャームが亡くなって5カ月も経つというのに、そのことを弟の幼馴染とわかっていたオレに知らせなかったのか? オレとキャームは、奴が小学2年の時にオレの実家の真ん前に引っ越してきてから、今は3~4キロ離れた隣町に再び引っ越してしまったが、今年で47年目の付き合いなのである。なのに何故⁉

 ま、つまりはそれが今回の悲劇を引き起こした原因にもなるのだが、キャームのお兄さんは20代前半の時に統合失調症という大変重い精神疾患になってしまったのである。同じ統合失調症の中でも症状がそんなに重くない人もいるが、キャームのお兄さんは隣家の人間が自分の悪口を言っているという幻聴を頻繁に耳にし、今まで50回以上も隣家に殴り込もうとし、その度にキャームの父親やキャームに止められていたという、かなり重い症状を患っていたのだ。
 その後、キャームのお兄さんは薬を飲むことにより多少その症状は抑えられていたが、迷惑ばかりかけられるキャームは兄貴のことがとことん嫌いになり、しまいには同じ家に生活していても殆ど話さなくなってしまったのだ。

 更に今から3年前、キャーム本人はもちろんのこと、このオレですら全くわからなかった事実が発覚した。実はキャーム本人も、発達障害という脳機能障害を患っていたのである。もう少し詳しく説明すると、キャームの場合はADHDの中でも多動性障害という、とにかく落ち着きがないという症状と、アスペルガー症候群という自閉症スペクトラム障害の混合型の疾患を持っていたのである。
 話が急に難しくなってきたので、もっとわかりやすく説明しよう。要するに、それまでは正にキャームの強引な性格が成してきたと思われる、例えば人にいきなり5~6時間もノンストップで話をしてきたり、絶対に自分の負けを認めなかったり、急に不機嫌になったりってことは、実はその殆どが脳機能障害のせい。さらにわかり易く説明すれば、人と交流しててある環境になったり、ある場面になると“自分の言動によって相手がどんな気持ちになるのか?”ということが全く想像出来なくなってしまうのである。
 ま、キャームの場合、元々そういう要素はあったのだが、少なくともイタリアブランドの服を販売するブティックを1人で経営していた頃までは、嫌な上司やダメな部下もいなくて全責任を自分1人で背負っていたので、そういう障害は鳴りを潜めていた。だからオレもまさかキャームがそういう障害を内包してるとは思わず、まぁ、かなり変わった奴だが、自分のことはすべて自分で決着をつけるし、そういう部分を無条件で尊敬していたのだ。
 ところが、不況によりそのブティックを閉めて、今度はサラリーマンになると、元々人の下について働くのはモノ凄く嫌いだったので、キャームの生活に大きな歪みが出てきた。そしてその歪みがキャームの発達障害を活性化させ、オレの自著『そっちのゲッツじゃないって!』にも書いてあるような、全く場の空気を読めずに次々と近くの人間を傷つけていくような行動を取ってしまうのである。
 それにより、2人の友だちを失い、また、沢山の身近な友達も傷つけられたオレは遂にキャームに対して我慢が出来なくなり、3年前に爆発して、彼にやられたことを自分のコラム本にそのまま書いてしまったのだ。オレは、キャームのわがままで自分勝手な性格が、そういう行動を起こしたもんだと思っていたのである。そして、オレから原爆を落とされたキャームは家の中に引きこもるようになり、心身共に更に衰退していったのだ。
 が、ここでハッキリと言っておくと、オレはキャームに原爆を落としたことについては後悔はしていない。あの時はそうするべきか何度も考えたし、オレが中途半端に口頭だけでキャームに注意していたら、もっと多くの友達やオレの読者がキャームが抱える発達障害に苦しめられていたことだろう。

 少し話を戻そう……。何でキャームの兄ちゃんは、キャームが亡くなって5カ月も経つというのに、そのことを弟の幼馴染とわかってたオレに知らせなかったのか? それは精神疾患によって、そういうことに頭が回らなかったっていうこともあるだろう。が、もう1つ理由があるとすれば、それは1つの家に2人の精神疾患患者と脳機能障害を患ってる者がいて、しかも、キャームとすれば自分は完全に兄貴の被害者だと思っていたので自分の情報は全く兄貴には伝えず、その結果、兄貴としても、そんな弟が死んでも、火葬する以外のことは思いつかなかったのではないかと思う。
 キャームが他界したことを知った翌々日。オレとハッチャキとシンヤくんは3人でキャームの実家に行って、キャームのお兄さんに聞きたいことを尋ねた。それによるとキャームは今年の1月の時点で眼科、皮膚科、脳神経科などに週3~4日のペースで通っているみたいだった。そして、1月7日。キャームのお兄さんが2階から下りてきたらキャームが1階で変な寝方をしていたので近寄ってみたら、キャームはすでに死んでいたという。死因は、心筋梗塞。が、実際は「病院に連れてってくれ」「救急車を呼んでくれ」と頼む相手が1人もいなくて死んでしまった。野垂れ死にだったのだ……。

 その後、オレたちは近くのファミレスに入った。不思議とまったく泣けなかった。というより、キャームが死んでしまったという実感がまるで無かった。
 ま、そりゃそうだろう。死んだと言ったって5カ月も前で、キャームの遺骨は長野県のお寺に納めたという。それより何より、人が死ぬと普通は葬式があって、そこでこの前までは元気に話をしていた奴が、何故だか青白い顔をして棺桶の中で花に包まれ横になっている。そういう姿を見て、初めて(ああ、この人は死んじゃったんだ…)という気持ちが湧き上がって、自然と涙がこぼれるのだ。なのにこういう死に方をされたんでは、とにかくキャームがいなくなったという実感が全く湧いてこないのだ。
 さらにその後、ハッチャキとシンヤくんと別れたオレは、自宅に帰って名古屋にいる弟のセージに電話をかけた。勿論セージは驚いていた。そして、間もなくするとセージの声が滲んできた。
「えっ、お前、泣いてるの?」
 思わずそんな言葉を掛けていた。するとセージは、
「いや……お兄ちゃんが………か、可哀想だと思ってさ」
 少しビックリしている自分がいた。セージは数年前、キャームに誘われるままキャームが勤めている会社の研修勤務に入るも、フタを開けてみればセージに作業を教える係のオヤジが自分がクビになることを恐れて、セージには何1つ作業のやり方を教えず、結局セージは丸々3カ月もタダ働きで、その千葉にある本社に朝5時半に起きて通っていたのである。てか、いい大人を自分が勤めてる会社に誘うなら、最低限でもそういうバカなことは無いように確認しとくのが常識である。で、結局セージは元いた会社の会長に頭を下げ、またその会社に戻ったのだ。
 それなのに昨年のお盆時期、そして、今年の正月に東京に帰ってくると電話してもキャームは出ないので、直接キャームの家に行って奴が元気かどうかを確かめているセージは、ここ数年に限って言えばオレよりよっぽどキャームのことを思いやってるのだ。ところが、キャームが死んだと知らせると、兄貴であるオレが可哀想だと泣いているのである。なんて心のキレイな奴なんだろう。
 オレは恥ずかしかった。キャームにとってセージは多分、奴が最後の最後に心を許し合って喋った友達だったのである。オレのように少し離れたところから『奴は発達障害を患ってるから、小説を書き上げて時間が出来たら、今度は色々対策を考えて再び付き合っていこうと思う』なんていうペッポコを言っている奴の一枚も二枚も上をいっていた。キャームの方から用心してコッチに来ないなら、コッチがキャームのいる家に時々行ってやる。考えてみればそれで充分なのだ。

 キャームが他界したのを知った2週間後の6月19日、東映の菅谷さんの車に乗って長野県飯田市のキャームの遺骨が納められている寺を訪れた。キャーム家の墓石の側面には『令和二年一月八日直樹五十六才 道雄ノ二男』というまだ真新しい文字が彫られていて、それを眺めていたら少しだけキャームが死んだという実感が湧いてきた。が、やっぱり全然泣けなかった。
「キャームさんは、板谷さん原作の『ワルボロ』を撮影してる時は特に喜んでましたよねえ」
 墓の前で手を合わせた後、そんなセリフを吐くと、バッグから取り出したオレとキャームが並んで脚立に腰かけながら映画「ワルボロ」の撮影を見学している写真、それをビニールでパウチしたモノをテープで墓石の側部に貼りつける菅谷さん。
(キャーム、雨でスグに剥がれちゃうとは思うけど、暫くはその菅谷さんが貼ってくれた写真を雨合羽にでもしといてくれや)

 それから更に4~5日後の夕刻。ハッチャキとケータイで話していたら、奴にこんなことを言われた。
「キャームが板谷くんの友達の俺やシンヤくん、それから板谷くんの弟のセージを自分の職場に入れたのは、もちろんその方が色々と自分自身の都合が良くなるってのもあったと思うんだけどさ。残りの理由は、やっぱ何年も前に板谷くんから距離を空けられて、キャームはそれが寂しかったから、板谷くんの周りの人間を自分に引き寄せることによって、板谷くんがそれに感謝したら、また昔みたいな付き合いが始められると思ったんじゃないかなぁ……。最近俺、そう感じるようになってきたんだよね」

 それでもオレは泣けなかった……。
 自分にとって、あまりにも大き過ぎることで、でも、その実感が全く湧かないとこういうことになるのだろうか。
 まぁ、無理して泣くこともあるまい。無理して悲しむこともあるまい。





 キャーム。オレは、まだお前をあの世に行ったことにはしねえからな。……冗談じゃねえぞ。

 

▲2009年頃のオレとキャーム。この時は週に何度も
会ってました。

 

▲その3年前の映画「ワルボロ」の撮影現場でのキャーム。
奴とすれば、この時が一番楽しかったんじゃないかと思う。

 

▲この墓石の脇に彫られた文字を見て、ようやく微かな実感
が湧いてきた。下に貼られた写真は菅谷さんが用意したもの。

 

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著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

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