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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

不思議親子(後編)

 荻窪の串カツ屋の前で、その店の店員に声を掛けられ「自分は昔、板谷さんの連載ページの担当編集者だった玄武岩さんに声を掛けたことがあるんです」と告白されたオレ。で、とりあえず、その30代後半だという男に名前を尋ねてみると「塚ポン」と呼ばれているという。

「ああ、要するに塚本の本がポンになったわけか(笑)」
「あ……いや、あの……本名は塚原です」
(じゃあ、何で“ポン”なんだよっ!?)

 その後、10分ほどして店内に入り、串カツとハイボールで乾杯するオレたち5名。
「あ、あの……」
 再び目の前に現れる、ファニーフェイスの塚ポン。
「実は自分、玄武岩さんにはもう1度会ったことがあるんです」
「えっ……に、2回会ったってことは奴から聞いてなかったけど……」

 2回目の時も塚ポンが東武東上線に乗っていると、同じ車両に玄武岩が乗り込んできて、その時は空いてたので並んで座りながらゆっくりと話をしたらしいが、とにかく玄武岩はオレのことをイロイロ面白く話したという。
「ところで、玄武岩さんは今、どうしてるんですかぁ?」
「それがもうかれこれ15年ぐらい前に『パチンコ必勝ガイド』の編集部を辞めちゃって、オレもそれから奴がどうしてるのかは分かんねえんだよなぁ~」
「あ……そ、そうですか………」

 玄武岩の消息が分かったのは、それから10日後のことだった。
 オレが「パチンコ必勝ガイド」の読者投稿ページの打ち合わせをしている時、そういえば昔、玄武岩に声を掛けたっていう男とたまたま串カツ屋であってさぁ~、という話を後輩のグレート巨砲というライターにしたところ、ナント、玄武岩はオレより5~6歳も若かったにもかかわらず、病気で何年も前に急死したということを伝えられたのである。
 ビックリした……。そして、ハッチャキが再び1人で荻窪の串カツ屋に行って、塚ポンに「そういえば玄武岩っていう人は死んだみたいだよ」と言ったら奴もビックリして、串カツを揚げてる鍋の中に思わずこれからカットしようとしていた沢庵を丸々1本入れてしまったという。

 それから更に数週間後。今度は塚ポンからオレのツイッター宛にツイートが届いた。
『板谷さんて本当に邦画の“妖怪ハンター ヒルコ”が好きなんですか?』
 そう、昔、オレは自分の何かの連載ページの枠外に、確かに今から20年ぐらい前に沢田研二が主演で上映されてた塚本晋也監督作品の「妖怪ハンター ヒルコ」が最高だった、ってことを書いた記憶があった。
『おお、よく知ってるなぁ~。で、それがどうしたんだよ?』
 オレはそんなツイートを塚ポンに返した。すると翌日にはこんなツイートが再び来ていたのである。
『そのヒルコに自分、役者として出演してるんですよ』
『うそこけっ!!』
 もちろんオレは、そんなツイートをスグに返した。すると、2分もしないうちに塚ポンからこんなツイートが返ってきたのである。
『ヒルコのDVDのパッケージを持ってますか? その表紙の右下に写ってるのがボクです(笑)』
(ええっ、まさか……)

 オレは、スグに自分のDVDを収めた棚の所に行き、「妖怪ハンター ヒルコ」のDVDが入ったパッケージを探し当てると、スグにその表紙の右下部分を見てみた。
(うわあああっ、ホントだっ。コレ、間違いなく塚ポンだっ!!)
 そう、そのパッケージの下の部分は妖怪に取り憑かれた人々の顔写真が載っていたのだが、その1番右の半分こちらに振り向いている顔が紛れもなく塚ポンの顔だったのである!!

 オレは、スグにそのDVDを観なおしてみた。すると、おおっ……確かに塚ポンは脇役だったが、主人公の工藤正貴(工藤夕貴の実弟ね)の友達の高校生で、2番目に首をちょん斬られて殺される結構目立つ役だったのである。
(1度ならず2度までも………)

 オレは、その時に塚ポンと運命的なものを感じ、後日、ファンクラブに入っている埼玉西武ライオンズの公式戦を一緒に見に行こうぜと奴を誘った。すると、ウチの嫁も板谷さんのファンだから、その嫁とあと小学2年になる1人息子も誘いたいんですが……と言ってきたので、全然構わないよと答えた。かくして当日、オレたち計4名は所沢市にある西武ドームに行ったのだが、塚ポンの息子というのが大デブというわけではないのだが、もうパツパツに肥えた、これからボクは大デブになる準備は出来てるよぉ~といった肉付きなのである。てか、実は塚ポンを初めて見た時から、この男はデブになる才能が凄くあるように感じた。

 そう、元大デブだったオレには、その人物の顔付きや皮膚の感じを見て、ソイツは気を抜くとどのくらい太るのかが分かるのである。なので、実はその時にソレを塚ポンに言ったところ、少しビックリした顔をして「確かに自分は鬼のように太り易い体質なので、現在は1日2食で、しかも、その2食目は職場のツマミを少し食べるだけなんですよ」ということを告げてきたのだ。
 つーことで、塚ポンは毎日そんな大変な努力をして太らないよう心掛けていたらしいが、彼の体質をモロに受け継いだ子供の体は既にポコポコした音を立てて大噴火の準備を始めていたのである。が、この子供は小学2年だというのに言葉遣いは丁寧で、また、凄く愛嬌のある笑顔を頻繁に浮かべるので、オレはスグに彼のことが好きになってしまった。

 で、その西武戦を観戦してる時に、オレは塚ポンに気になっていたことを尋ねてみることにした。
「そういえば塚ポンって、何で役者を辞めちゃったの?」
 彼の口から出た内容は、こうだった。
「実は、あの「妖怪ハンター ヒルコ」の後、『ザ・レイプマン』というエロ漫画の実写版映画に出演する仕事が入ったんですけど、とにかくそれが嫌で嫌で、結局はそれで役者を辞める決心をしたんですよ」 
 その話を聞いた直後、オレは自分の体が別に怒っているわけではないのにワナワナと震えているのをハッキリと感じた。

 『ザ・レイプマン』…。正式名は『THE レイプマン』。このリイド社の『リイドコミック』に連載されていた、依頼によって有料でレイプを請け負うプロフェッショナル・レイパーの漫画がオレは割と好きだったのだ。当時、付き合っていた女にもオレはSEXの時に、このレイプマンが使っていた必殺技「三浅一深(3回浅く突いて、4回目に深く突く技)」や「トライアングル(三角形に腰をグラインドさせる技)」を用いて、半分笑いながらFUCKを繰り出していたのである。
 で、その昔、漫画家のサイバラに誘われて竹書房のパーティに何回か行った際に、必ずといっていいほど会場には無敗の雀鬼、桜井章一と一緒にメガネ&ベレー帽を装着した小太りのザ・昔の漫画家風情のオッさんがいて、あの人は一体何者なのかと噂していたところ、編集者の一人が「ああ、あれはレイプマンの原作者のみやわき心太郎さんですよ」と教えてくれて、オレは大いに盛り上がったのだ。が、あの当時、塚ポンはそのレイプマンの実写版に出演しろと言われて、あろうことか役者を辞めてしまったのである。……そう、ここでもまたまたオレと塚ポンの過去が交錯していたのだ。

 それから数日後、再びオレと塚ポンは一緒に西武ドームで西武戦を見ることになった。この日、塚ポンは息子と2人で西武線に乗って球場まで来ることになっていて、一足先に着いたオレは改札のところに立って2人が来るのを待っていた。すると5分もしないうちに2人が現れ、オレは塚ポンの息子を見ながら「おお、元気だったか?」と笑いかけたが、その日の彼は何故だか浮かない顔をしているのである。
 で、オレがポカーンとした顔をしていると、塚ポンが何かに気が付いたように「ほらっ、アキトくん。板谷さんにちゃんと御挨拶なさい!」という言葉を飛ばしたのである。

(まさか……)
 そう思ったが、オレはもう一度、塚ポンの息子に挨拶し直してみた。
「アキトくん、元気だったか?」
 俺の言葉に自分の名前が出てきたのを確認し、ようやく納得したような笑顔を送ってくるアキト。……な、何て難しい奴なんだ。

 そして、それから半年ほど経った、オレと塚ポンが2人で車で名古屋に行ったときのこと。名古屋で旨いモノをたらふく食べて、東京に帰る車内で助手席の塚ポンが突然次のような話をしてきたのである。

「あ、板谷さん。ウチのアキトは、前世で亀村一郎って名前だったらしいんですよ」
「なっ……………てか、塚ポン。オレは前世とか生まれ変わりだとか、そういうモンは一切信じてねえから」
「いや、自分もそうなんですけどね。でも、ハッキリとそう言うんですよ」
「……い、今から何年前のこと?」
「確か、もうすぐ小学校に上がる頃ですよ、初めてそんなことを言い出したのは」
「え、何って名前だっけ? か、亀……」
「亀村一郎です。亀田一郎?って訊き返したら、『違うよっ。かめ“むらっ!”いちろうだよ!』って怒られちゃいましてね」
「………………」
「で、自分は福島でトマトを作る仕事をしてて、アパートの隣の部屋に住んでる大学生がイロイロ親切にしてくれた、って言うんですよ」
「………………」
「でも、自分は遂に力尽きちゃって、お空に上がっていった……ってことなんです。それで上では、次の人生をいくつかの中から選べて、自分はもう食べ物で空腹の苦労をするのだけは嫌だからボクのところを選んだって言うんですよ」

 呆然とするオレ。が、と同時に、数ヶ月前に同じく塚ポンから聞いた話を思い出していた。
 その話によると、アキトは幼少の頃、耳があんまり聞こえなかったらしいのだ。で、塚ポン夫婦は何とか治らないものかと、様々な病院にアキトを連れて行き、時には彼の耳に針を打ってもらったりもしたらしい。が、なかなかアキトの難聴は治らず、その頃はエログッズの妖しい通販の会社で働いていた塚ポンは、将来アキトの耳がダメだったら奴は何をして食っていけばいいか考えたところ、飲食関係の仕事を自分と一緒にやるんだったらそんなに喋らなくても大丈夫だということで、塚ポンは思い切って今の居酒屋関連の仕事に転職したという。そして、それから数ヶ
月が経った頃、急にアキトの耳が聞こえるようになったというのだ。
 つまり、それって今度はもう食べ物で空腹の苦労はしたくないってことで、アキトがコントロールして塚ポンを食い物関係の仕事に導いたのではないだろうか……。


 いやはや、とにかくこの親子のことは、これからも注目していきたいと思う。

 

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著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

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