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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

パリアッチョ(前編)

 先輩にNさんという音楽プロデューサーをやってる人がいる。
 知り合ったのは10年ほど前で、年はオレの5つ上。頭はスキンヘッドだが、とにかく背も高いし見た目もカッコいい。また、車はアメ車のマスタングに乗っており、羽根木のレース場で時々レースにも参加しているらしかった。しかも、夏になると山中湖で水上スキーもやるらしく、50代の半ばだというのに30歳ぐらいの動きをしているのだ。
 で、こんな人が女にモテないわけはなく、まぁ、詳細は省くが、過去にとても日本人とは思わないダイナミックな恋愛をいくつも経験してきたらしい。
 普通これだけのエピソードを聞かされると、確かにカッコいい奴かもしれないけど、中身はどんなクソ野郎なんだ?と思うだろう。が、Nさんの凄いところは、ホントにいい仲間に囲まれていて、その誰にも尊敬されているのである。しかも自宅に帰れば自分のお母さんを非常に大切にしている。そんな家庭的な顔も持っているのだ。よって、オレの友だちの、あの意地っ張りで負けず根性の固まりのようなキャームでさえ、Nさんの前ではお腹を思いっきり見せながらハァハァ言ってる犬状態になる。そう、つまり、キャームが欲しいモノをNさんは、ほぼ全て持っているのである。だから、あのキャームでさえ完全な降伏状態になり、Nさんの話だけは1つも聞き漏らさないよう、耳をダンボ(古い表現でゴメン)にしているのだ。

 そんな機動力のある仙人のようなNさんだが、元々何で知り合ったのかというと、彼がオレの本を気に入って読んでくれていたことがキッカケで交流が始まったのである。が、彼と会えば会うほど、その魅力にオレは飲まれ続けた。そして、ある日、オレは決定的にその魅力にグロッキーされてしまったのである。
 その日、オレはNさんの個人事務所に遊びに行くと突然部屋の脇っこにあるスピーカーからクラシックの歌声が流れ始めた。それはどう聴いても海外のプロの歌唱家の歌声で、普段はまったくクラシックの曲など聴かないオレでもみるみる鳥肌が立ってくるような、そんな素晴しいというか、超感動的な歌声だった。
「これ、誰が歌ってんですかっ?」
 そう聞くとNさんの顔に微かに悪戯っ子のような笑みが浮かび、そして、次のような答えが返ってきた。
「……俺だよ(笑)」
「ええっ!!」
 そんな叫び声を上げながらも、オレは改めて彼が音楽プロデューサーという仕事をやっていることを思い出していた。
 そう、以前Bという大手音楽会社の看板プロデューサーをやっていたNさんは初めは荻野目慶子、そして、あのスマップ、つい数年前までは関ジャニのプロデュースまでやっていたのである。
「こ、これはクラシックの中でも何というジャンルの音楽なんですか?」
「カンツォーネだね。歌詞はイタリア語だよ」
(カ、カンツォーネって……オレは今までギャグにしか使ったことのないジャンルじゃんよ!)

 そして、それから数年が経ち、オレはある決心を固めていた。
 そう、オレが原作を書いた「ズタボロ」が「ワルボロ」に続いて、またもや映画化されることになり、オレはその映画の音楽プロデューサーをNさんにやってもらおうと思ったのだ。いや、この数年前から音楽業界はとにかくCDが売れなくなり、オレとしたらスケールは笑っちゃうぐらい小さいけど、今までイロイロなことを教えてくれたNさんに対しての恩返しの意味もあったが、それより何よりオレは彼の音楽や歌唱力の才能に惚れ込んでおり、今こそNさんにその力を遺憾なく発揮してもらおうと思ったのである。

 ところが……………(以下、次号)。

 

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著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

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