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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

オレが見た最も悲しい涙

 それにしても、オレのオフクロ側の身内の血は濃かった。 
 オフクロの父親は繁二(仮)、母親は菊江(仮)。子供は3人いて、長男が守彦(仮)、長女がオレのオフクロ、次男は満(仮)。そして、菊江のもう1人の夫がヒデオで、2人の間にも長男の猛身(例)と長女のケイコ(仮)という2人の子供がいた。つまり、オレのオフクロは3兄弟で、それ以外にも2名の異父兄弟がいたのだ。 

 何で婆さんの菊江は2回結婚しているのかと言うと、オフクロの兄弟たちの父親の繁二は第二次世界大戦で中国に出兵し、そこでソ連との戦いに巻き込まれ、日本の天皇が1945年に敗北宣言をした後も日本には帰ってこず、死んだと思われていたのだ。で、菊江は埼玉県大宮駅近くでおでんの屋台を始めたのだが、何人ものヤクザにおでんのタダ食いをされ、しまいにはオフクロたち3人の子供が栄養失調で死にそうになっていた。そこで菊江は、そんなヤクザの中でも1番貫禄のある男に「このままでは自分達は死んでしまいます。何とかなりませんでしょうか」と頼むと翌日から無銭飲食をするヤクザは1人も来なくなり、が、そうなっても菊江には自分たちが飢え死にしないという保障も無かった。よって、菊江は屋台での無銭飲食を無くしてくれたヤクザのヒデオに体を許し、翌年には結婚したのである。 
 ところが、それから数年後。シベリアに抑留されていた繁二が日本に帰ってきて、菊江は大パニック。ヒデオとの間には猛身、ケイコという新たな子供も生まれていたのだ。その後、繁二と菊江は裁判になり、菊江は「もし猛身とケイコも一緒に引き取ってくれるなら、あなたの元に戻る」と言ったが、繁二はそれを拒否して、1番上の守彦だけを連れて帰還兵の受け入れ施設があった吉祥寺に向かったのである。 

 で、それからというもの、オフクロと実弟の満は大宮のテキ団体三代目会長のヒデオにいじめ抜かれ、その結果、オフクロと満は吉祥寺で再婚して新しい家庭を持った繁二と一緒に暮らし始めた。ちなみに、菊江はオフクロと満に「何もしてやれなくてゴメンよ」と言って泣いていたという。 
 一方、一足先に吉祥寺にやってきて芸能界の裏方で働き始めていた守彦は、自分の実の兄弟のオフクロと満には菊江の悪口を言いまくったという。で、最初こそ、その話を黙って聞いていた満も急にグレ始め、いや、そのグレ方もハンパではなく、高校の友達の父親が使っていた猟銃を盗み出した。そして、その頃はまだちゃんとした組織力がなかった新宿や池袋のヤクザたちを相手に、自分たちの仲良で組織した愚連隊で街内で頻繁に抗争を起こしていたという。 

 で、そんな時に繁二の家を出て1人暮らしを始めていた守彦は、満と会うと相変わらず菊江の悪口を言いまくっていたらしいが、ある日、満は「いや、でも、ウチらの母親だって、俺たちを飢え死にさせないために、あの大宮のテキ屋の3代目と結婚したんだから、そんないつまでも昔のことを嘆いてたってしょうがねえじゃねえか」と言った。が、それでも守彦は依然として菊江の悪口を言い続けていたので、とうとう我慢が出来なくなった満は、自分が持っていた仕込み杖の鞘を抜き、その剣で守彦の太ももを真上から刺し貫き、そのままそのバーから逃走したらしい。いや、何か三流のバイオレンス漫画みたいな話だが、本当の話なのだ。ちなみに、太ももを真上から刺し貫かれた守彦は、そのまま救急車で病院へと運ばれたが、その後、警察にはその日初めて会った奴に襲われたとウソをつき、満のことは守ったのである。 

 それから数年後、満は日本三大暴力団の1つの組に正式に入会することになった。で、ここからはオレには簡単には理解出来なかったが、その満がヤクザの組に入る際、あれだけ幼少期の満に辛く当たっていた養父のヒデオに満は挨拶に行き、またヒデオも満が入る組の組長に「私の息子をよろしくお願いします」と頭を下げに行ったらしいのだ。もちろん後年、オレは満に「何で幼い頃、いじめられてた養父のヒデオにヤクザになる時に挨拶しに行ったんですか?」と訊いたことがある。すると満は次のように答えたのである。 

「自分の血が入ったガキと入ってないガキがいたら、そりゃ俺だって当然血が繋がったガキの方を可愛がるよ。それは無理もないことで、だからあのジジイは悪くない。悪いのは、自分の夫の生死もちゃんと確認してないのに、別の男と結婚したウチのババアだ!!!」 

 そう、前記したが、満も菊江のことは完全には許してなかったのである。にもかかわらず、満はヤクザ界の中で身分が上がっていくと、幼い頃に自分を体を張って守ってくれたオフクロに対しては勿論のこと、菊江にまで自分がもらった色々な差し込れ品などを小まめに送っていたのだ。しかも、更にわからなかったのが、異父兄弟である猛身がグレ始めて満のことを慕って来ると、満は決して甘い顔は見せなかったらしいが、猛身のことも形だけは自分の組に入れてやり、その上、毎月払う上納金も満は猛身の分まで全額出してやっていたという。そう、満は養父のヒデオと異父兄弟である猛身に対しても(何もそこまで……)と思うほど気を遣っていたのだ。 
 ちなみに、満は40を過ぎてからも、刑務所に長期間2度ほど入ったことがある。原因は酒。そう、通常は自分が入ってる組の大親分の秘書をやっているため、常に気を張り、頭を使ってピリピリしているのだが、オフの時間になるとまるで昔のアメ車が大量のガソリンを必要とするように満も酒を飲みまくった。で、頻繁に小さなトラブルを起こしていたが、東京都内にある某一流ホテル、そこのクラブラウンジで泥酔した満は、自分を注意しに来た警備員をメチャクチャにブン殴ってしまったのだ。それも2度にわたって……。1回目の時は4年の実刑を食らい、刑務所から出てきた2年後にマンガのような話だが、またもや前回と同じホテルの警備員を殴ってしまい、前科もあったので今度は6年の実刑を食らっていた。 

 で、満が刑務所に入ってる間、彼の事務所の管理は猛身に任せることにしたらしいのだが、満が刑務所から出所して自分の金庫を開けてみると、覚悟していた以上の凄い金額が無くなっていたという。そんなことを2回も食らいながらも、満は猛身に対して何の文句も言わなかったという。ちなみに、後年オレは何で猛身に文句を言わなかったのか満に尋ねてみると次のような答えが返ってきた。 
「いや、そもそもあんなホテルでパクられた俺が悪いんだしよ。それに金の管理はエエ加減な奴だとわかってても、一応は身内の猛身に任せるしかねえから、余分な金を使われるのは覚悟の上だよ」 

 その後、オフクロの実兄の守彦が39歳の時に早死にしてからというもの、養父のヒデオが口頭癌で死に、更にそれから10年後に菊江が肺癌で他界した。 
 菊江の葬儀の日、遺体のすぐ前には猛身とケイコが我が物顔で座っていた。そして、オフクロと満、それにオレと満の長男の4名は菊江が住んでいたその家で焼香を済ませると、菊江が亡くなる数ヵ月前まで営業していた、大宮公園の中にある食べ物や雑貨を売っていた店舗を改めて見に行った。そして、再び大宮公園に隣接する駐車場に戻ってきた時だった。
「ホント、お母さんも大変な人生だったねぇ……」 
 ふとオフクロが誰に言うんでもなしに、そんなセリフを口にした。すると、 
「ざまあねえやなっ」 
 満が吐き捨てるように、そんな言葉を続けた。そして数秒後、いきなり誰かの鼻が鳴ったような音が聞こえ、その音の方に振り向いたところ、 
「うっ……うううう……うううううううっ……うううう………」 
 満の目から涙がポロポロと落ちていた。もちろん、満の泣き顔を見るのは初めてのことだった。 
「うううう……ぐっ………ううううううっ……ぐうううううううっ……」 
 なんて悲しく見える泣き顔なんだろうと思った。それは大好きでいつまでも甘えたかった母親が突如ヤクザの男に奪われて、彼女には一切甘えられなくなり、怒りが込み上げてきたが、 それでも母親のことを憎み切ることは出来ず、ホントはその胸に飛び込んでいきたかった、かけがえのない人物が死んでしまったという、普通の奴にはわかりようもない壮絶な悲しい涙だった。 
 

 オレは未だに、あんなに悲しそうな人の涙を見たことがない。 

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著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

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