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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

BINGO!!

 先日、ウチに親戚のトモユキくん(仮名)が超久々に遊びに来た。
 トモユキくんの婆さんはウチのケンちゃん側の婆さんの姉で、トモユキくんもオレもその婆さんたちの孫で、年齢はトモユキくんの方が8つ上だった。そう、トモユキくんと「くん」付けで呼んでいるが、オレが現在56歳なのでトモユキくんは64歳になる完璧なジジイなのだ。が、独身を続けているトモユキくんは、見た目も言葉使いも年よりも全然若い。しかも、トモユキくんとオレは、オレが小学校から高校生だった間に4~5回ぐらいしか会ったことがなく、ウチに遊びに来ても、いつも母親に怒られているといった印象しかなかったので、自分よりも8つも歳上にも関わらず、トモユキくんと呼んでしまったのだ。
 
「そっか、伯父さんも伯母さんも死んじゃったのかぁ……。そりゃ寂しいねぇ」
「ところでトモユキくんは今、何やってんの?」
「アハハ、ボク? 今は駄菓子屋」
「えっ、駄菓子屋をやってんの!?」
「うん、自宅の隅っこを店にしてんだけど、客は週に2~3人しか来ないよ、ぐははははははっ!!」
「そ、それじゃあ商売になんないじゃん」
「まぁ、ウチの両親は、多少はお金を残して死んだからさ。今はソレを切り崩して何とか生活してるよ」
「そっか……」
「コーちゃんは今、何やってんの?」
「オレ? う~ん………(面倒だからウソついちゃえ)占い師」
「へぇ~、凄いじゃん」
「(おいっ、驚きは無いんかい!?)ま、まぁね……」
 
 その後、玄関の所で立ち話も何だからということで、トモユキくんを居間に上げて冷たいお茶を出した。
「何かゴメンねぇ~。久しぶりにお婆さんとか伯父さんのことを考えてたら、ほら、ボクんちは八王子だから電車に乗ってフラっとここまで来たら、コーちゃんが庭でバットを振ってたからビックリしたよ」
「でも、もう不良じゃないからね(笑)」
「ぐはははははははっ!! わかってるよ、そんなこと。……あ、ところでアレは何?」
 そう言って、部屋の隅っこに置いてある空っぽの棚を指さすトモユキくん。
「ああ、あの棚はCDを収納してたんだけど、この前CDを大量に捨てちゃったんで、今は用済みであそこに置いてあるだけなんだよ」
「じゃあ、よかったらボクにくれない? 駄菓子とかを収納しとくのにピッタリだからさ」
「ああ……別にいいけど、これって厚みはないけど、横1メートル、縦は1.5メートルぐらいはあるから電車じゃ持っていけないよ」
「いや、抱きながら何とか乗っちゃうよ」
「抱きながらって……わかった、オレが車でトモユキくんの家まで運んであげるよ」
「いやいや、もらうだけでも有難いのに、家まで運んでもらうなんて申し訳なさすぎるよっ」
「いや、いいから、いいから」
 
 
 つーことで、その後、棚と一緒にトモユキくんも車に乗せて、八王子郊外にある彼の家に行き、そのまま帰ろうとすると、
「コーちゃん、お茶でも飲んでってよっ」
「え……悪いよ」
「悪いのは貰った棚を自宅まで運んでもらってるボクの方だよっ。車はその角に止めててOKだから、とにかくウチに上がってってよ、ね!」
「ああ、じゃあ、ちょっとだけね……」
 トモユキくんの家に上がって驚いた。びっくりするほど家具とか雑貨が無いのである。ところが、茶の間の小さなテーブルの上に1冊のアルバムが開かれたまま置かれていたので、そのページを覗いてみたところ、
「あれっ、これってウチの婆さん⁉」
 そうなのである。そのページには、まだ50代だと思われるウチの婆さんが写った白黒の写真が貼られていたのである。
「そうそう。その写真を見て、急に立川のお婆さんのことを思い出しちゃってさ。気がついたら電車に乗ってたってわけよ、ぐははははははっ!!」
「あっ、この白いタンクトップ姿の人ってトモユキくんじゃない?」
「ああ、そうそう。それって18歳ぐらいの頃のボクだよ。ぐははははははっ!!」
 オレが見てるアルバムを覗き込みながら、人懐っこそうな笑みを浮かべるトモユキくん。改めてその写真を見ると、どうやらテントが写っており、他の2人の友達とキャンプに出掛けた時の写真のようだった。
 その後、メーカーから直接仕入れているという懐かしの「チェリオ」のオレンジ味を飲んで、座布団から立つオレ。
「じゃあ、トモユキくん。そろそろ帰るわ」
「あ、じゃあ、ケータイの電話番号を教えてくれない? ボクのも教えるから、また何かあったら会おうよ。八王子と立川は近いんだからさ」
「あ、うん……」
 
 
 それから3週間後。車の運転免許の停止期間に入っていたオレは、その日、弟のセージの嫁のミカに車を出してもらい、食料品の買い物をした後、そのお礼にと青梅市にあるラーメン屋でミカにラーメンをご馳走した。で、帰り道、新青梅街道を走っているとミカがハンドルを握りながら、助手席にいるオレの向こうに指をさし、次のようなことを言ったのである。
「お兄ちゃん、あの交差点のコンビニの前にお地蔵様があるよ。……なんであんなところにあるんだろ?」
「えっ……ああ、あの地蔵かぁ~」
 オレは、その地蔵について知ってることをミカに話すことにした。
「あの交差点は、武蔵村山市の三ツ木交差点っていうんだけどさ。オレが小学生の時かなぁ~。あそこで自動車事故があって、その時に死んだ女があそこを通るタクシーをつかまえて、途中で消えたりっていうことを繰り返したらしくてさ。で、それが有名になっちゃって、遂には頻繁にテレビで紹介されるようになったんだよね」
「えっ、あんな地味な交差点が?」
「うん。で、地元の人があそこにああやって地蔵を作ったら、それ以後はピッタリ女の幽霊はでなくなったらしいんだよ」
「こ、怖い……」
 
 家に帰った後、オレもその三ツ木交差点事件が改めて気になりだしたので、ネットにキーワードを打ち込んで調べてみたら、数年前にCSかなにかの番組で放映されたらしい映像が上がっていた。それによると三ツ木交差点で、その車同士の衝突死亡事故があったのは1974年(昭和49)5月23日。元々あの交差点は事故が多発していたところで、昭和45~50年の間だけでも120件の事故が発生していたらしい。
 話をその事故に戻すと、死んだのは近所の飲み屋で働いていた22歳の女性。彼女を助手席に乗せて運転していたのは、その女性が働いていた店の常連客の男だったらしく、事故が起きた際には飲酒をしており、また、三ツ木交差点の信号を無視して交差点に突っ込んだという。
 それ以来、タクシーに女の霊が乗ってくるといった話が頻繁に語られ、また当時、様々な番組でもこの三ツ木交差点の話が取り上げられ、当時10歳(小学4年)だったオレも、それらの番組を割と夢中で観ていたのだ。
 その後、交差点の一角にあったガソリンスタンドの経営者が霊媒師を呼んだらしく、そして、交差点のすぐ脇にお地蔵様を作ったところ、それ以来、女の霊が出たという話はピタリと聞かれなくなったという。ちなみに当時、沢山の暇を持て余した若者たちが三ツ木交差点の近くをウロウロしていて、中には近くにテントを張って、まるでキャンプ場にいるかのように騒いでいたバカもいたらしい。

 って、まさか……。
 ケータイでトモユキ君に電話するオレ。
「あっ、トモユキきん。オレ、立川の板谷」
『おお、久しぶりぃ~。どうしたの?』
「いや、全然どうでもいい話なんだけどさ。この前、トモユキくんがテントを張って友達とキャンプしてる写真を見せてくれたじゃん」
『キャンプ? ……ああ、あのアルバムに入ってたヤツかぁ~』
「ちなみに、あれはドコのキャンプ場に行ったの?」
『え~とぉ……………あ、あれはキャンプ場なんかじゃなくてさ。昔、立川の隣の武蔵村山市に三ツ木交差点っていうところがあってさ。そこに当時幽霊が出るって騒がれてたから、友達にテントを持ってる奴がいてね。その交差点近くに空き地があったから、そこにテントを張って、その中でお化けの話なんかをして盛り上がってたんだよ』
「ビ、ビンゴ……」
『えっ?』
 そうなのである。今はコンビニだけど、数年前まではガソリンスタンドだった三ツ木交差点の角にあった建物。オレは3週間前にトモユキくんの家で彼がテントの前でピースサインをしている写真を見た時、その写真の隅っこにガソリンスタンドのようなものが写っていて、一瞬だけど(キャンプ場の近くにガソリンスタンド⁉)って思ったのである。
『ぐはははははははっ!! 今思い出したけどボクは当時、マサヨ(仮名)っていうハンパじゃないヤリマンとあのテントの中で何回もSEXしてたんだよ、ぐはははははははっ!!』
 
 
 ぐはは、じゃねえよ。大ビンゴだよ……。
 
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著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

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