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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

完全武装のパンダくん

 以前、このコラムでも紹介したがオレの後輩の塚ポン、奴が埼玉県西みずほ台で「まるや商店」という串カツ屋を始めてから、もう2年半以上が経とうとしている。
 今まで東京の飲み屋といえば、圧倒的に焼き鳥を中心のメニューにしてる店が多かった。そこに数年前から関西の串カツが殴り込んできた。そう、昔の東京は串カツというと高級食品にされていて、専門店に入るとそれこそ1人6000~8000円ぐらいは取られていたのである。ところが、そこに串カツチェーンが登場してきて、1本60円からという値段で串カツが食べられるようになったのだ。そして以前、塚ポンはそのチェーン店で修行をしていたのである。
 そのチェーン店から独立して自分の店を持った現在の塚ポン、その経営状況は絶好調。とにかく、ひっきり無しに客が来て、25~26人は入れる店内は殆ど満席状態なのだ。いや、オレなんかが心配するまでも無かったが、塚ポンは串カツチェーンで働いた数年間しか修行期間がなかったため、確か「まるや商店」が新規オープンする僅か1週間前にオレは奴を連れて京都へ出向いたのだ。 何で京都になんか向かったのかというと、同地には「串八」という大繁盛している串カツ屋が何店舗かあり、串カツのメニューには60種類以上、しかも焼き鳥まで出していて、とにかくその中の1軒で飲み食いして、まるや商店をやる時の参考にして欲しかったのだ。が、塚ポンがその店から盗んだのは“キュウリのたたき”だけで、オレはまるや商店がオープンするととにかくハラハラしていたが、実際には全然大丈夫だった。そう、奴が作る串カツは、元のチェーン店の串カツより格段に旨かったのである。

 てか、何で素人のオレがこんな上から目線で書いてるのかというと、オレも中学~高校生にかけて学校が10日以上の休みに入ると、埼玉県の大宮公園内で営業していた祖母の店を手伝っていたのだ。祖母の店は焼きそばとオデンを作り、また、アルコール類を出したり、カメラのフィルムやアイスなんかも売っている割と大きな店で、祖母はその店で当時、年間6~7千万円の売り上げを得ていた。が、それだけの利益を上げるのに祖母は店に行くと商売の鬼となり、バイトのオレが客や食べた食器を片付けてトレーをカウンターの上に置き、そのトレーが少しでもカウンターと平行じゃないと、それだけで「もっときちっと置きなよっ、きちっと!」と怒られるのである。勿論、店の名物である焼きそばとオデンは自分以外には誰にも作らせず、が、未だにココの焼きそばとオデンの旨さを超える逸品にオレは出会ったことがない。
 で、塚ポンの串カツの仕込み方も当たり前に丁寧で、しかも、その串カツは自分以外の者には絶対に揚げさせない。バイトに頼むのは飲み物ぐらいで、料理をやらせるとしても焼きそば(まるや商店の焼きそばは普通である)ぐらいなもんである。
 また、塚ポンは定休日の月曜以外は、何があっても休まない。それどころか、今年に関しては1月2日まで営業し、3日から数日間だけ休んだのである。
 しかも、バイトも非常に大切にしていて、1~2ヵ月に1回は銀座の寿司屋で食事をさせたりしているので、バイトの兄ちゃんやネエちゃんが殆ど辞めないのだ。その上、塚ポンの店に差し入れを持っていっても大抵がその場で開けて、バイトたちにも配ってしまうのである。

 で、そういう営業方針だから、最初のうちは下品に酔っ払う兄ちゃんたちも時々来ていたが、そのうちそういう客も全くいなくなり、それどころか安い串カツ屋だというのにテーブル席には若い女のコだけのグループも結構見かけるようになった。いや、なんでもないことのように思えるが、実はコレは凄いことなのだ。
 そして、オレがいつも驚くのは塚ポン本人に人気があるということだ。いや、塚ポンは勿論若い女ではなく、多少童顔だが腹のデップリ出た中年男である。なのにまるや商店のカウンターに陣取っているのは、殆どがこの塚ポンと話したいオッサンたちなのだ。冷静に見ていると、彼らは串カツを揚げてる塚ポンの背中に優しい視線を向けており、たまに間が空いて塚ポンが話し掛けてくると待ってました!投手ばかりに嬉しそうに返答しているのだ。いや、これはハンパじゃないよ。客観的に見てると、踊り子が服とかは全く脱がずに、ただ串カツを揚げているだけのストリップ劇場が連日大盛況しているようなもんだもの。……、元々この塚ポンには人を安心させたり、ホッコリさせるモノをもってるんだろうなぁ~。

 ちなみに、塚ポンはこの埼玉県富士見町で自分の店を開くにあたって、当たり前のようにそれまで住んでいた都内の中野区から富士見町に引っ越して、息子も埼玉の小学校に転校させた。てか、これが普通の奴には、なかなか出来ない。変なプライドを捨てきれず、店は田舎にあるんだけど住まいは都内にあるんだよ、なんて言ってる奴が多々いるが、そういう奴に限って通いきれなくなったり、天候が悪いと開店時間が遅れたり、下手すりゃ休んじゃったりする。住んでるところから店までは500~600メートル以内。これが商売が長続きする隠れたコツなのだ。

 
 都心から離れた西みずほ台は、夜になると真っ暗で、ホントにまるや商店の赤と黄色の提灯しか見えなくなる。そして、西武戦を見終わったオレは今日も足繁くその明かりの塚ポンの元に通うのである。

 

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著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

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