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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

また、やられた……

 オレの後輩に沖田×華(おきたばっか)という女の漫画家がいて、オレも奴も讃岐うどんが大好きなので、去年も2回ほど一緒に讃岐うどんの本場、香川県に行ってきた。
 で、オレには同県にGくんという友達がいて、彼は23歳くらいから統合失調症という重い精神病を患っているのだが、約5年ぐらい前に薬をキチッと飲み始めてからというもの、その症状が大分抑えられるようになったという。で、去年の1回目の香川旅行の時に沖田をGくんの実家に連れていった。ま、連れていったといっても、実際に家にいたのはGくんの両親とお茶を飲んで話した10分ほどだったが、親戚以外は殆ど女の客が来ないG家に来た30代の沖田に対して、特にGくんのお母さんは嬉しそうに話していたのである。

 数ヵ月後。再びオレと沖田はうどんを食いまくるため香川県を訪れ、再びG家にも寄った。すると、Gくんのお母さんは嬉しそうに「沖田さんにあげるモノがある」と言って居間のテーブルから立ち上がると、1分もしないうちに白いキレに何かを包んで戻ってきた。

「ええっ!?」

 その白いキレの中にあった物を見て、沖田もオレも、ほぼ同時にそんな声を出していた。本物の真珠のネックレスだった……。昔、Gくんのお母さんが自分の結婚式のために作ったという。
「いや、ダメですよっ。私、貰えませんよっ!!」
 当然のごとく、そう言って断わる沖田。つーか、Gくんのお母さんは、沖田にはまだトータルで15分も会っていないのである。そんなドコの馬の骨ともわからない女に、自分の大切な記念の品をあげちゃおうって人がドコにいるのか? 本来なら、そういう大切な品は自分の親戚、もしくは息子の嫁になる人にあげるべきなのではないか。
「いや、沖田さんにあげるちゃことは昨日、お父さんとも話し合ったきにな。なぁ~、お父さん!」
 そんな、お母さんの問い掛けにシッカリと肯くGくんのお父さん。さらに……、
「本来ならウチの1人息子の嫁になる人に……って考えるとこじゃきん、でももうこの息子も40歳になって、どうやら結婚もしなさそうじゃきん、とにかく貰っておくれな、沖田さん!」
そう言って、沖田に真珠のネックレスを渡すGくんのお母さん。

 で、オレはこの事件を東京に帰ってからイロイロな人たちに“笑い話”として紹介した。当然、沖田もまさかそんな昔の真珠のネックレスをつけるわけもなく、貰ったはいいが、ドコか自分の使わないモノばかりが入ったアクセサリー箱の奥にでも仕舞いこんでいるんだろうと思った。

 そして、時は流れて今年の6月。沖田が“自身の発達障害をネタにする女漫画家”として、NHKに取材され、その模様がNHKのEテレで夜の8時から放映されることになった。当然、オレもその番組を観ようと思ったが、皮肉にもその晩は珍しく原稿書きの仕事が忙しかったため、夜8時からのその番組をビデオに撮り、翌朝、早い時間にソレを再生してみた。

「あっ……!!」

 驚いた。番組のスタジオに登場した沖田は、ポリバケツのような青いカツラをかぶっていたが、まぁ、それは置いとくとして、Gくんのお母さんから貰った、あの真珠のネックレスをつけていたのである。で、番組が終わった後、オレは慌ててGくんにメールを入れたら、数分後に返信があって次のようなことが書かれていた。
『ゲッツさん、おはようございます。実は5日ほど前、沖田さんからメールが来て、今度Eテレに出演するから、時間があったら御家族と一緒に観て下さい、と書いてありました。で、オカンと一緒に昨夜観たところ、オカンが真っ先に“あっ、沖田さんがつけてるネックレスってアタシがやったヤツやん!”って気がついて、すごい嬉しそうな顔をしてたんですよ。ボクも超嬉しかったです(笑)』
 そのメールを読んでる途中で、オレの目からボロボロと涙が落ちてきた。

 いやぁ~、オレはあの真珠のネックレスのことをギャグとして知人に話し、笑いを取ってイイ気になってたけど、当の沖田とGくん家族はもちろん2人が結婚することはないにしても、至って真面目に受け止めていたのである。………またしてもやられたよ、この精神障害コンビに。

 

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著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

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