MENU

ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

日和るな、オレ

 一昨年の9月末ごろから、オレは割と本気でダイエットを始めた。 
 その年、初めて受けた人間ドックで明らかに糖尿病になってると医者に宣告されたのだ。ま、それはオレにも自覚はあった。大酒を飲んだり、ジムでトレーニングしている時に何度も低血糖になり、短時間だが気を失うこともあったのだ。で、そのダイエット開始から18カ月経った現在、105キロあった体重は91キロまで落ちた。 
 いや、今までもダイエットは何回かしたことがある。最初にやったダイエットは、単に食べる量を無理して減らした。その結果、体重は72キロまで落ちたが、ダイエットを止めた途端に体重はアッという間に90キロ台に。またある時は、とにかく運動をした。が、無理して運動したせいで食欲が爆発し、体重は100キロを超えてしまった。それから、雑誌の連載でダイエットをしたこともある。その時は105キロあった体重を1年間で20キロ落とそうという目標を立てさせられ、結局は1年間で22キロ体重が落ち、83キロ台になった。が、やっぱりその企画が終わって暫くするとブクブクと太り始め、数ヵ月で元の105キロに戻っていた。 
 
 そして、前記したが、一昨年受けた人間ドッグでオレは糖尿病にかかっていると宣告され(血糖値が普通の人は100以下なのに、オレは122もあった)、「あなた、とにかく痩せないと大変なことになるよ」と言われたのだ。で、オレはウォーキングを始め、また飯の量を減らした。が、ただそれをやってもダイエットを止めた途端、また完全にリバウンドすると思ったオレは、飯の量を減らすというより、その内容を変えようと思った。要は、嫌いだった野菜を積極的に取り、揚げ物をなるべく食べないようにした。さらに、とにかくダイエットで必要以上に無理をすると絶対失敗するとの確信を持っていたオレは、週末に友達と会う時だけは、何を食べるかは完全に自由にすることにした。 
 すると、2ヵ月後には97キロ台まで体重が落ち、数年前に買ったGパンも履けるようになった。ところが、それから半年以上も97キロという体重が続き、それだと血糖値も102ぐらいで、なかなか安全ゾーンには入らなかったのである。 
 そんなある日、友だちの塚ポンの串カツ屋で先輩の三村さんが、いつも枝豆を食べていることに改めて気づいた。オレは元々枝豆を食べる習慣が無かったのだ。で、翌日から日に3食の食事の中の1食を枝豆&豆乳にすることにしたのだが、これがビックリするほど効果的だった。そう、枝豆はいちいちさやから出さなきゃなんないので、食べるのにどうしても時間がかかる。そうすると大して量は食べてないのに、それなりに満腹感に浸れるのだ。また、オレはその頃から串カツ屋でも酒は滅多に飲まずに、ウーロン茶や緑茶ばかりを頼むようになった。オレは酒は嫌いじゃないが、飲まなくてもイライラしたり不満がたまることはないのだ。で、気がついてみると、体重は93キロ前後まで落ちていた。 

 と、周囲の者からは「おい、最近何だかスッキリしてねえか?」などと言われ、病院の先生からも「うん、いい感じで血糖値が減ってるね」と言われるようになった。ところが、と同時にその頃から半月に1度ぐらいの割合で腹が痛くなったのである。が、寝る数時間前から痛くなるのだが、翌朝目が覚めると痛みは無くなっていたので、きっと冷たいモノでも飲み過ぎてんだろと思っていた。そういうことが3~4回続いたのだが、ある日、その腹痛がいつまでも治らないので定期的に通ってる病院に行ったら、そのいつもオレの血圧や血糖値をみてくれてる先生がスグに紹介状を書いてくれ、その大きな病院で検査をしたら痛みの原因は「胆石」だと言われた。 
 結局、オレはその病院で手術&養生をすることになり、入院してから10日後に退院となった。そして、病院の不味くて量の少ない食事を取り続けた結果、体重計に乗ると88キロになっていて、久々の80キロ台に喜びが突き上げてきた。が、何度もダイエットに失敗しているオレは、その80キロ台をキープするために無理なダイエットを始めたら、またスグにリバウンドして元の木阿弥だと思ったので、食事内容を病院に入院する前に戻した。その結果、体重は3キロほど増えて91キロ台になったが、それが現在の無理のない普通の食事となった。 
 てか、オレの最終的な目標体重は86キロ前後。そう、決して焦らず、でも、まだ5キロほど落とさなきゃならないのだ。そこまで落とせば糖尿病が心配にならない血糖値になり、また、さらに昔、体重が 84~85キロ台の時に買った数本のカッコいいGパンも履けるようになるのである。 

 で、ここからが今回の本題になるのだが、今年の新年会でオレは久々に豚汁を作ろうと思った。オレのマンションでの新年会に呼ぶ友達たちは、皆オレの豚汁が好きな者たちなのだ。何で豚汁を作るのが久々だったかって言うと、立川市に住んでいた頃は豚汁を作ると家族はもちろんのこと、まだ健在だったキャームもオレの豚汁は大好物だったので、12L入りの長鍋一杯に豚汁を作っても2~3日でソレが無くなってしまった。ところが、現在のオレは息子と2人だけで住んでおり、その息子は何故かオレが作る豚汁は大嫌いだと言うので、作ってもオレしか食べる奴がいないので作らなくなってしまったのである。 
 で、オレは考えた。まだ立川にいた頃に頻繁に作っていた豚汁。それを食べた友人の中には「何だかクリームシチューを食べてるみたいで、体に悪そうとまでは言わないけど、2杯目を食べる気にはならないんだよねぇ」と言う者も何人かいたのだ。それに加えて、自分も最近はダイエットをしているので、もう昔のような特濃の豚汁を作るのもどうかと思い、12L分の豚汁を作るために具材の量、その中でも 特に豚バラ肉と玉ネギは、それぞれ1.5キロと大玉6個という量は変えないようにした。が、その代わりにバターの量をワンブロックの80%から30%に思い切って減らし、また、最後の味付けの味噌の量も本来は白味噌3パック+麹味噌1パックの4分の1にしてたものを、白味噌を1パック丸々減らしたのである。そして、新年会でソレを振る舞ったところ、ほぼ全員が「ん?」という顔になったのだ。 
 中でも1番ガッカリしていたのが東映の菅谷さんで、彼は「板谷さん。今回の豚汁は味がしないんですけど……」なんて言ってきたので「え、マジッスか!?」と驚くオレ。で、オレは慌てて近所のスーパーに走り、白味噌1パックとバター1ブロックを購入。そして、自分が作った豚汁の中に白味噌1パック全部とバター半ブロック分を投入し、弱火でそれらを溶かしていった。

「あっ、さっきより全然美味しくなってる!」 
「そう、これですよ、この味!!」 
 テーブルの上に飛び交い始めるそんな言葉。 
「最近オレもダイエットのために、あんまり味の強いモノは食わないように……」 
「いや、板谷さん」 

 オレの言葉を途中で遮る菅谷さん。 
「それはそれでいいですけど、でも、やっぱり板谷さんの豚汁って言ったら、この味なんですよ!」 
 菅谷さんの言葉に肯く一同。そして、オレの体は痺れていた。 
 自分が今ダイエット中だとか、豚汁の味が濃過ぎると言う友人がいるとか、そんな問題の前に、この豚汁はオレが少なくとも3年近く色々試行錯誤して作り上げたレシピで作ったものなのだ。で、それが大好きで、今日はそれを食いたいと集まっている奴らには、とにかく何の迷いもなくオレ本来の豚汁を出すべきなのだ。それを何人かの友人、知人に最近ホントに痩せてきたねなんて言われてイイ気になったオレは、その体の状態をキープしようとする一心から、自分の得意料理の味を変えて出していたのである。 
 オレの豚汁にブツクサ言う奴がいたら、そんな奴は玄関まで蹴り飛ばして帰らせりゃあいいんだ。それから味が濃くたって、そんなタマに飲む、豚汁1杯で体重なんか大して変わりゃしねえよっ!!

      日和ってるんじゃねえよ、オレ!!

 

-----------------------------------------------------

『そっちのゲッツじゃないって!』

◇ガイドワークスオンラインショップ
(限定特典:西原理恵子先生表紙イラストのクリアファイル付)
『そっちのゲッツじゃないって!』

◇Amazon
https://www.amazon.co.jp/dp/4865356339

バックナンバー

著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

関連書籍

閉じる