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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

無邪気な順番制

 オレが通っていた小学校は、校庭は凄く広かったが、生徒数が少なくて1学年は2クラスしかなかった。
 ウチの息子も同じ小学校に通っていたのだが、生徒数は更に少なくなっており、ナント、1年生として入学した際は1学年たったの1クラス。しかも、男20人、女20人しかいなかったのである。ということは、公立の小学校というのは、すんなり転校、転入生もいないので、そのまま小学校6年まで1クラスでいくことになる。つまり、クラスに嫌な奴がいてもクラス替えというものがないから、6年間は同じ教室で過ごさなくてはならないのだ。そんな環境の中、案の定、心配していたことが起こった。小学2年の終わりから3年の1学期まで、ウチの息子が学校の仲間たちにいじめられていたのだ。

 最初は息子が学校から帰ってくると(ん、元気ねえなぁ…)と思っていた。そのうちウチに友達が何人か遊びに来ると、息子の部屋から「やめろよぉ~、やめろ~」なんて声が聞こえることもあり、皆が帰った後、息子が1人で泣いていることもあった。
 で、ある日、オレが夕方に車に乗って仕事から帰ってくると、ウチの近くの道を息子が1人でグスングスンと鼻をすすりながら歩いていた。
「おい、どうしたんだよ?」
 車の窓を開けてそう訊くと、普段はいじめられていても何も言いつけてこない息子が、初めてオレに次のようなことを言った。
「友達に何度も何度も蹴られたっ。……悔しい!」

 オレは、そう言って再び泣き始めた息子を見ているうちに、みるみる頭に血が上っていき、しまいにはそのまま息子を助手席に乗せ、その友達がまだ遊んでいるという公園へと向かった。公園に着くとブランコに乗っているガキと、その近くの鉄棒で遊んでいるガキが1人ずついて、息子に問い質すと、ブランコに乗っているガキに何発も蹴られたとのことだった。
「うおいっ、このクソガキャ-----!!!」
 車から降りたオレは、まっすぐそのガキに向かっていった。ガキはブランコを漕ぐのを止めると、真っ赤な顔をしながら凄い勢いで近づいてくるオレを見て、座ったまま硬直していた。
「テメー、ウチのガキに何してくれてんだよっ!! 今から気絶するまでブン殴ってやるから、そのブランコから降りてコッチ来いいいっ!!」
 自分では、そう言ってるつもりだった。が、その頃のオレは、まだ数年前に患った脳出血のリハビリ期間中で、興奮したり緊張したりすると、言葉が感情に全くついていけず、メタメタなことを口走ってしまうのである。で、後から息子に教えてもらったのだが、その時、オレは次のようなことを叫んでいたという。
「テメー、くそガキっ、ブン殴ってブランコから来いっ、何だっ、くぅのバッキャ野郎ををを!!!」

 ウチの息子をいじめたそのガキにしたら、ただでさえ100キロを超えたこんな短髪のデブが顔を真っ赤にして現れただけでも怖いだろうに、その上、そのデブがメチャクチャなことを叫んでいるのである。結局そのガキが泣き出したので「今度やったら貴様の歯を5~6本抜いてやるからな。仲間にも言っとけ!」と言って戻ってきた。そして、その翌日に息子を蹴っていたという、もう1人のクラスの番長格のガキが平気な顔をして遊びに来ていたので、今度は深呼吸を何度かした上で、そのガキの隣に座り、次のようなことを小声で耳元につぶやいてやった。
「今度ウチのガキをいじめたら、お前の口の中にウチの2匹の犬がひったウンコを全部ブチ込んでやるからね。覚えといてな♥」
 つーことで、この瞬間からウチのガキに対するイジメはピタリと失くなった。

 で、ここから話は冒頭に戻るんだけど、1クラス20人の男子がいるウチの息子のクラス。オレは遠巻きにだが、このクラスを6年間見ていて、ある事にハッキリと気がついたのである。
 ウチに遊びに来る息子の友達たち。年に数回の父母参観。学校の先生の家庭訪問。時々、息子とその友だちたちを連れてってやった遊園地旅行。そういうものを通してクラスの状況を窺っていると、クラスのその20名の男子が期間の長短はあるが順番にいじめの対象になっていたのだ。
 ちなみに、卒業の3カ月前には前出のクラスの番長格のガキが2週間ほど皆から無視される対象になっていたらしいが、その番長格の迫力でいじめの対象がオレが以前怒鳴ったブランコに乗っていたガキに移り、ソイツは最後まで皆に無視されていたという。つまり、オレは何が言いたいのかというと、よほどの学校じゃない限り、やはりいじめというものはファミコンやらTV番組などより近い位置にある子供の娯楽であり、仲間をいじめることにより興奮し、飽きるとまた人を替えて新たな興奮を得ようとするのである。そして、ウチの息子が通っていた少人数の小学校では、6年間でキッチリそのいじめが1周したのだ。


 何だかんだ言っても、やっぱり人間って、まだまだ動物なんだよなぁ……。

 

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著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

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