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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

パリアッチョ(後編)

 後に映画化されることになった、オレの自伝的小説「ズタボロ」。それを書いている時、オレはあるクラシックの1曲を繰り返し思い出していた。
  その曲は、叔父の友達のヤクザが自分の車の中でいつも大音響で流していた曲で、初めはうるさいことこの上なく思っていたが、何度も聞いているうちに不覚に も大好きになってしまった曲だった。同局は、もう20年以上前に公開されたアメリカ映画「アンタッチャブル」の中でも流れていたのだが、オレはその曲名と かは一切わからなかったのだ。で、ある日、音楽プロデューサーのNさんに「アンタッチャブル」のDVDを渡して、その中のオペラ公演時に流れていた曲は何 てタイトルの曲なのかを尋ねたら後日、次のような答えが返ってきた。
『あれは“パリアッチョ”っていう、世界的にも超有名な曲だよ』
「パッ……パリアッチョ?」
『うん。“道化師”っていう意味なんだけどね』
「道化師………」
ってことで、オレは自分の小説の中に、その“パリアッチョ”というタイトルが付いた曲を入れたのである。

  で、話は1年ほど進んで、2012年にオレの小説「ズタボロ」が完成し、それとほぼ同時に同作品を映画化しましょうと言ってくれた映画プロデューサーがい たのである。そのプロデューサーというのが東映のSさんという人で、実はオレ原作の第1弾目の映画「ワルボロ」も5年前にプロデュースしてくれたのがSさ んだったのだ。ところが、その「ワルボロ」を撮っている時にオレは脳出血になってしまい、ま、映画は無事に撮り終えて公開されたのだが、その後、オレはS さんに「ワルボロに続く『メタボロ』『ズタボロ』も映画にしたいので是非、続編を早く完成させてください」と頼まれたのである。

 ところ が、オレの脳出血の後遺症は予想以上に重く、結局その続編を完成させるまでに4年半という歳月が流れてしまったのだ。そして、そんな時間がかかってしまっ たので、オレはもう続編の映画化の話はとっくに流れてしまったのだろうと思っていたら、小説「ズタボロ」を書き上げてからスグにSさんがオレの元に現れ、 「これでようやく『ワルボロ』の続編が撮れますね」と言ってきたのだ。
 そう、Sさんはオレより15歳ぐらいも年下なのだが、オレみたいな奴が書 いた小説を心から気に入ってくれ、それより何より、「ワルボロ」の撮影中に、まだ脳出血の後遺症真っ只中のポンコツのオレを何度も現場に車で連れていって くれた、単なる恩人というより、まさにNさんとはまた別の意味で尊敬できる人物だった。

 で、今回の映画化にあたり、オレはその東映のSさんに真っ先にある事を頼んだのである。
「今回も特に注文は無いのですが、ただ1つ、音楽プロデューサーにNさんを抜擢して欲しいんですよ」
 が、その時、Nさんとは1~2度面識があったSさんでも安易には「わかりました」とは言わず、「まぁ、考えときますね」という答えを返してきた。が、とにかくオレは、これでNさんの才能、そして、彼から受けた数々の恩をようやく少しでも返せると思った。
  ところが、音楽以外の、例えば出演する役者のオーディションの選考スタッフの中にオレを入れてくれたり、オレの知人を映画に出してくれたりと、またもやS さんはオレに対して色々と気を遣ってくれたのだが、結局音楽プロデューサーはNさんにはならなかった……。残念だったが仕方がなかった。Sさん以外のプロ デューサーだったら「あれほど頼んだのに!!」と文句の1つでも言ってるところだったが、何たってSさんはオレの原作を4年半も、しかも、その間にウチに 1カ月に1回のペースで遊びに来ながら、映画のことは一言も口にせずに待っていてくれた人なのである。
 オレは、一連のことをNさんに正直に話し た上で深々と謝った。すると、まぁ、予想はしていたが、Nさんはニコニコ顔で「いいよ、いいよ。Sさんにだってイロイロと付き合いがあるんだし、また今度 の機会にお願いしますよ」と言ってくれたのである。で、ココで終了になれば“オレにとっては少し残念だった話”で終わったのだが、この話には続きがあっ た。

 「ズタボロ」の撮影が始まったある日、東映の撮影所にいたオレにSさんが真剣な顔をして次のような話をしてきたのだ。
「板谷さん。今回の映画の中に入るパリアッチョという曲、アレはオリジナルを少し変えて流そうと思ってるんですよ」
  そう、Sさんは「パリアッチョ」というオペラの名曲を実際にはそれまで聴いてはおらず、聴いてみたら確かにモノ凄いイイ曲だったが、これをそのまま使った らとんでもない楽曲使用料を取られるんではないか?と危惧していたのである。で、その時、オレは「いや、あの曲は作られてから100年以上経ってるし、 ちゃんとした手続きを取れば、そんなバカみたいな使用料は取られないから、とにかくあの完成した曲は絶対に変えないほうがいいですよ!」と言えば良かった のだが、オレ自身も音楽に対しては不勉強で、そう言いたかったがイマイチ自信がなかったのである。
 家に帰ってきて、オレは頭を抱えた。「パリアッチョ」という音楽と、ケンカの映像が一体化したシーン。それはオレの中では、この映画1、2番目の見せ場だった。それがもし、パリアッチョを変な風にいじくった音楽に変えられたら………。

  ところが、数日後にSさんと会うと、どうやらパリアッチョは曲調を変えずとも平気だということがわかったらしく、あとは誰かに歌ってもらえればOKです、 と言ってきたのだ。しかし、あのパリアッチョという難しいイタリア語でのオペラの曲を日本で歌える奴なんているのかっ? ……あっ、いるっ!! それは正 しくNさんじゃないかっ!!
 オレは、スグにNさんに電話。そして、パリアッチョを歌えますかっ?と訊いてみると、「かなり難しいけど全力を尽く すよ」という答えが返ってきたのだ。で、そのことを今度はSさんに伝えた数日後、彼から「今回は予算も全く余ってないし、仮にNさんに歌って頂いても、 ギャラは殆ど払えないですよ」との答えが返ってきた。そして、それをNさんに伝えると、
『わかった。じゃあ、タダで歌うよ、俺』
「えっ……そ、そんなことさせられませんよっ!!」
『いや、今回の歌は俺からコーちゃん(オレ)へのプレゼントだから、お金は本当に要らない。何だったら、そのことを紙に書いたっていいよ』
「Nさん………」

 3週間後。Nさんがオレの家に来て、ケータイに録音してある彼が歌うパリアッチョを聴かせてくれた。
 いや、ハンパなく良かった……。Nさんは1週間かけて自分のボイストレーニングをし、バックミュージックを1人で作り、その上でパリアッチョを歌い上げたのだった。太い豪快な声だった。冗談抜きで鳥肌が立った。
 よし、これを今度はSさんに聞いてもらえればいい。そう思っていたら、今度はそのSさんがオレの家に来た。
「ど、どうしたんスか?」
「いや、音楽を担当させていたスタッフが日本の歌手にパリアッチョを歌わせたんですけど、それがメチャメチャいいんですよぉ~! ちょっと俺の車の助手席に座ってくださいっ」
「え、じょ……助手席に?」
  SさんがCDに焼いておいた、その曲がカーコンポから大音響で流れた。……うん、確かに悪くはなかった。これなら映画の中で流れても立派に通用すると思っ た。だが、正直に言わせてもらえれば、Nさんが歌ったパリアッチョの方がイイと思った。迫力があった。が、オレはそれを言えなかった……。

 そして、数日後にはスグに「ズタボロ」の試写会があり、それを観終わると改めてSさんの実力の凄さがわかった。
  30代の半ばで、この低予算の中、これだけのキャストに協力してしてもらうことができ、こんな素敵な脚本の映画を自分が信じた監督に取ってもらって、そし て、こんなに小気味いい、が、人を充分感動させられる映画を作ったSさんの才能に改めて心の中で拍手を送った。本当に嬉しかった。
 オレは、もう 何の意味も無かったが、その試写会の帰りにSさんのケータイにオレのケータイに入っていたNさんが歌うパリアッチョを転送した。そして、家に帰ってからN さんのケータイに、Nさんのパリアッチョは使われなくなりました。本当に申し訳ありません……という話をDMで伝えた。

 さらに3カ月 後。一般の試写会があった。絶対来ないだろうなぁ~と思いながらも、Nさんを誘ってみた。すると、意外なことにNさんは来るという。思えばオレとNさんが 初めて会ったのも、8年前の「ワルボロ」の試写会の時だったのだ。にしても、自分の歌が使われなかった映画など、本当にNさんは観る気があるのか?
 当日、その「ズタボロ」を観終わった後、オレは恐る恐るNさんに感想を尋ねてみた。すると………、
「い や、本当に面白かった。てか、ちゃんとドラマになってるじゃん、この映画は。前回の『ワルボロ』も面白かったけど、正直言えば松田翔太くんのプロモーショ ン映画になってた感もあったけど、今度のは凄く高度な映画になってるよ。もちろん、音楽だって何の遜色もないし。……いゃあ~、それにしてもコーちゃん (オレ)のオフクロさん役を演じてた南果歩さんは素晴しいね!」
 オレはそれを聞きながらも、自分がいかにガキだったってことを思い知らされてい た。てか、オレなら普通、自分がタダで作ってやったモノが使われてない映画の試写会なんてものは、絶対に観に行かないはずである。万一、観に行ったとして も、後で「う~ん、でも、やっぱり音に迫力が無かったよな~」なんてことを言うだろう。
 が、Nさんはそういうことを一言も言わないのだ。いや、正直悔しかっただろう。でも、そんなことより映画全体のことを観て、正直な感想を言ってこれるのだ。本来なら、オレをブン殴ったり、訴えたとしても不思議はないのに……。
 この約半年間、まるでオレはNさんとSさんという、2人の漢の間を揺れ動き続けた女の気分を味わっていた。そして、今でもこの2人と仲良くやっているのは、言わずとして、この2人が出来た人間だからである。


 手前味噌かも知れませんが、映画「ズタボロ」はホントに面白いです、なので、まだ観てないという人は、レンタルDVDでもいいので観て下さいね。よろしく!

 

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著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

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