MENU

ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

不思議親子(前編)

 もう1年近く前になるが、あれは都内に友達数人とイロイロなモノを食べに行った帰りだった。
 最後に飲み屋で1杯やろうということで、友達のハッチャキがここんとこ数回行ってるというJR荻窪駅近くの串カツ屋に入ろうということになった。ところが、日曜ということもあり、その店は割と大きい店だったが何人もの行列が出来ており、外で立って待っていると寒いので、オレは別の居酒屋に行こうとハッキャキに言った。と……、
「板谷くん、この店のカウンターの中にいる店員が、さっきからキミのことを睨んでるよ……」
「ええっ、どいつ?」
 そう言ってハッチャキが指差す方を店のガラス戸越しに見ると、おお、確かに店員の1人がオレの方をガッツリと見ていたのである。

(何だかわかんねえけど、やるんならやったろうじゃねえかよっ!!)

 そう思いながらオレも相手の男にガンを飛ばすと、あろうことか、その店員はカウンターの外に出てきて、そのままオレの方にグングンと近づいてきたのだ。

(じ、上等だっ、バカ野郎!)

突拍子もない展開に少し慌てつつも、思いっきり気持ちを尖らせるオレ。そして、その店員がドアを開けて店の外に出てきた瞬間、オレはソイツに向かって怒鳴っていた。

「何だよっ、くぅの野郎おおおっ!!」
「あっ………あの、い、板谷さんでしょうかっ?」
「………へっ?」
「いや、自分、昔から板谷さんの本を好きで読んでまして……」
(なんだ……ファンか~」
「あの、じ、実は自分、もう20年以上前になるんですけど、昔、板谷さんが『パチンコ必勝ガイド ルーキーズ』って雑誌で連載してた“5ッ星ホールを探せ!”っていう連載ページの担当編集者の玄武岩(げんぶがん)さん、その人に電車の中で声を掛けたことがあるんですよ」
「おお、玄武岩かぁ~。懐かしいなあ~(笑)。で、えっ……電車の中って、ひょっとして君って……」

 話が飛び過ぎているので、ココで1回説明しとこう。“5ッ星ホールを探せ!”というパチンコ誌での連載をオレは20代の後半に4年間くらいやっていたのだ。内容は読んで字のごとく、毎月1つの県に2泊3日で旅をして、そこでの優良ホールを探すというものだった。で、その取材についてくる3代目の担当が玄武岩という男で、何でそんなアダ名が付いたのかというと、奄美大島出身のその男はとにかく顔の彫りが深く、「ゴッツン」とか「ゴリ蔵」といった名前では全然物足りないので、オレがこれ以上ゴッツいあだ名は無いという「玄武岩」というアダ名を付けたのである。

 で、当時、その玄武岩から直接聞いたのだが、会社から自分のアパートに帰る東武東上線の満員電車の中で立っていると、ふと誰かの強い視線のようなものを感じ、そっちの方に目をやったところ、大学生のような格好をした男が玄武岩のことを凝視していたらしいのだ。

(まさか、コッチに来るんじゃねえだろうなぁ……)
 が、そのまさかだった。その15メートルほど離れたところにいた大学生風の男は、自分の周囲にいる乗客を押し分けるように進んできて、遂に玄武岩のすぐ目の前の位置まで来たという。

「あ、あの………」
 相手の口から発せられた緊張したような声。玄武岩が改めて、その男の方に視線を向けてみると、その男は殆ど声にしなかったものの、玄武岩の顔を間近から見ると唇を“やっぱり”という言葉を喋っているように動かした後、続いて再び緊張したような声を出してきた。

「げ、げ、玄武岩さん………ですよね?」
(は、恥ずかしい……)
 
 そんな声を掛けられて、玄武岩は真っ先にそう思ったという。が、相手の男が依然として自分の顔をスグ目の前から凝視しているので、出来るだけ小さな声で答えたという。

「そ、そうですけど……」
 玄武岩がそう答えた数秒後、自分の近くの例の大学生風の男以外の所から「ププッ!」という笑いを押し殺したような声が響いた。そしてさらに数秒もすると、その「ププッ!」という声が3~4方向から聞こえ、さらに数秒後には玄武岩が乗っている車両の3分の1ぐらいの乗客が笑い始めたという。
 そう、その笑い始めた奴らは、もちろん玄武岩のことは知らなかったろうに、その玄武岩という呼び名と奴の顔があまりにもフィットしていたため、堪え切れずに笑ってしまったのである。

「ああ、君がその声を掛けた奴か~!」
「そ、そうなんです」

 オレにそう声を掛けられた店員は、嬉しそうな顔をして何度も肯いた。しかし、何という偶然なのだろう。今から20年以上前に、当の玄武岩から「この前、電車の中でこんな奴がいたんですよぉ~」なんて話されて大笑いしていたオレが、まさかその声を掛けた若者にこうして話し掛けられているとは凄い偶然だと思った。


 が、この兄ちゃんのドラマチック性は、まだまだこんなもんじゃなかったのだ……。(以下、次回)

 

バックナンバー

著者略歴

  1. 板谷宏一

    1964年東京生まれ。10代の頃は暴走族やヤクザの予備軍として大忙し。その後、紆余曲折を経てフリーライターに。著書は「板谷バカ三代」「ワルボロ」「妄想シャーマンタンク」など多数。2006年に脳出血を患うも、その後、奇跡的に復帰。現在の趣味は、飼い犬を時々泣きながら怒ることと、女の鼻の穴を舐め ること。近親者には「あの脳出血の時に死ねばよかったのに」とよく言われます。

閉じる